タイの芸術・文化・創造

タイで就職したWEBデザイナーの日記

タイの地域社会は伝統芸能、食べ物で魅了する 2017-08-11

旅行者のほとんどはバンコクをショッピングの行き先として見ていますが、近隣の地区では、過去を旅しているような保存された芸術や食べ物の文化を体験することができます。
 「微笑みの国」で売っているタイは、アジアの人気旅行スポットの一つです。首都のバンコクは華やかな夜の街や高級ショッピングセンターがあることで知られていますが、それ以外の見どころも沢山あります。
 民主記念塔から徒歩5〜10分の場所にあるナンレンは、1990年代に戻ったような体験ができる、バンコク内の小さな地区です。タイの旅行代理店HiveStersは、国連開発計画とバンコク都庁と提携し、消滅の危機にあるナンレンや他のバンコクの伝統的な5地区の保存に取り組んでいます。

 「現代の若い世代の人々は、私たちの文化をあまり重要だと思っていないからか、あまり文化について気にしていません。彼らが求めているのは、西洋の技術を追いかけることです」と、ツアーガイドのチャクリット・ケントンさんは、タイ国政府観光庁とタイ航空フィリピンがスポンサーを務めるメディアゲストに話しました。
 「この世代がいなくなると、これは私たちの文化から消えてしまいます。保存するための最善の方法は、文化や習慣を次の世代に伝えていくことです。他にできることとしては、旅行者に伝えることです、旅行者は世界にそれを伝えてくれますから。」
 このあたりの目印の一つである、富裕層向けのハイエンドな映画館だったサラ・チャオエム・タニ・シネマも、ナンレンに位置しています。整備資金の不足によって’90年代前半に閉店しました。

<家庭料理、デザート>
 ナンレンの市場は、家庭の料理やタイデザートまで楽しい食の経験を提供しています。お昼時にはいつも人で溢れ返っています。
 ホンおばあちゃんの愛称で呼ばれる90代の女性はこの地区に住み、第二次世界大戦の頃からタイのデザートを作っています。彼女は現代に生きるために、今でも続けています。
 ヤシのケーキや蒸しバナナケーキ、タイタロ芋カスタードケーキなどの美味しいデザートが揃えられています。
 「それぞれのデザートの材料を準備するのには長い時間がかかります。時代を超えて、彼女はこの地区の人々に提供するためにこれを続けているのです。彼女が亡くなると、誰もこれを引き継げなくなります」ケントンさんは言います。
 ホンおばあちゃんが一番忙しいのは朝ですが、この時間帯に訪れた人は彼女がデザートを準備するのを見ることができます。
 ナンレン市場は食愛好家にとって理想郷でもあります。普通の海鮮食材、肉、野菜の他に、他でなかなか見つからない食材もここではいつでも売られています。いくつかの露店も、主にもち米とココナッツミルクで作られたタイ料理とデザートを売っています。小さなレストランやフードコートもあります。
 一部のツアーには、露店や通りでよく売られている、地域で人気のパッドタイや焼きそばの作り方講座も含まれています。

<フォークダンス>
 訪れた人は、今のタイではほとんど行われていない、チャトリという伝統的なフォークダンスを教わることができます。ダンスを学びたい人には、70代のカニャおばさんが教えてくれます。
 「私たちの伝統的なダンスは今や消えかけています。練習するのが大変なので、若い世代の人はやりたがらないのです」と、ケントンさんは言います。
 ダンサーの家庭に生まれたカニャおばさんは、若い頃からチャトリを練習してきました。彼女が住んでいる家は、100年前の彼女の先祖から引き継がれています。
 旅行者は儀式に使われていたパンプァンやタイの高級な香り粉の冠の作り方を教わることもできます。これは、タイのハーブで作られた香りの粉を宝石の粉と混ぜて作られます。
 冠は女性が髪に香りを付けるためのアクセサリーとしても使うことができます。
 「この慣習は、どのようにやるのかを誰も知らないので、消えかけています」ケントンさんは言いました。

<芸術愛好家向け>
 ナンレン外のバンコクの魅力として、芸術を愛する人が絶対に逃してはいけないのが、華やかな内装を持つ新古典主義のルネッサンス様式の建造物、アナンタサマーコム宮殿です。金やその他の高級な材料で作られた洗練された芸術品の数々が、チャクリー王朝を描いた壁画と共に展示されています。
 ラーマ国王の時代である1900年代前期には迎賓館として使われていましたが、現在は美術館となっています。
 館内での写真撮影は禁止されています。さらに厳しいドレスコードが設けられています。ビーチサンダル、ショートパンツ、ダメージジーンズやノースリーブシャツは禁止です。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。

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