タイ就職と芸術・文化

タイで就職したWEBデザイナーの日記

古代の軌跡を辿る 2017-07-19

タイの科学者による先史時代の化石の復元イメージが、東南アジア及び世界での人類の発展を辿る上での明るい兆しを見せる

 タイのメーホンソーンで見つかった石器時代の遺体の化石を基に描かれた女性の画像が論文上で公表されて以来、タイは考古学の国際的なコミュニティの中心となっています。
 13,000年以上も昔の人と思われるその女性は、探検中に見つかった4人分の白骨死体のうちの一つであり、他の3つとは何千年も年齢が違いました。女性の画像は現代タイ人との大きな類似点を持っており、先史時代のタイや東南アジアの人類の生活の発達について重大な疑問を浮かび上がらせています。
 ケンブリッジ大学の学術誌「Antiquity(古代)」に掲載された論文「タイ タームロッドの洪積世後期の女性:現代の顔つきに対する古代からの影響」は、科学者カノックナート・チンタカノン、サンジャイ・サンヴィチェン、ナッタモン・プリーパッポン、スーザン・ヘイズ、ラスミ・シューコンデジュたちによって書かれました。
 現代のテクノロジーではタームロッドの女性を平面画像に表すことしかできませんが、近い将来、DNA技術の発達によって、古代人類について体の構造などさらに詳細を特定することができるようになると、ラスミさんは信じています。
 「ヨーロッパでは実際に、DNAを用いて肌や目の色など様々な身体的特徴を特定し、保存状態の良い人類の化石から全身のシミュレーションを行うことが出来るようになっています。遺体が埋葬されている土壌からDNAを抽出する技術が出てくるという話すらあります」2002年に探検隊を化石の発掘に導いた、シルカポーン大学の考古学教授ラスミさんは言います。

 「タイや東南アジア全体では、このテクノロジーは比較的新しく、この古さの先史時代の人類の顏をシミュレーション出来たのは初めてでした。フローレス原人がインドネシアで見つかった際の4月のシミュレーション以来、この地域で同様の方法で先史時代の人類の顏つきのシミュレーションを行ったのは、私たちで2番目です。タイ人の祖先がどのような顔つきをしていたかについて一般的な見解を得たのは私たちが初めてです。」
 タームロッドの女性の顏つきのシミュレーションは、オーストラリアのウーロンゴン大学のスーザン・ヘイズ教授との共同研究により、化石片のCTスキャンを基に復元したレジン製の頭蓋骨模型と、世界中の膨大な人数の現代人の頭蓋骨や顔の構造、筋肉や肌の計測結果を比較して行われました。研究者たちは、タームロッドの頭蓋骨は構造上現代人のものと似ていたため、女性の頭蓋骨の計測によって、現代人の顏の構造に基づいて女性の顏を復元することが出来たと考えています。
 ラスミさんによると、タームロッドの女性の顏の復元は、いくつかの理由がありとても重要な意味を持つとのことです。この復元により、タイ人がどこから来て、どのように現在の姿になったのかを説明することが出来ます。タイ先史時代の人類の暮らしについての具体的な証拠は、地方と世界の古代の歴史についてより多くの疑問に答える材料となるでしょう。
 「最近の考古学の見識では、タイで見つかった化石の子孫が最終的にタイに定住したのか、それとも別の場所への移動途中にタイに立ち寄ったのかを明確にする証拠はありませんが、彼らは中国やインドネシアから移住してきたホモ・エレクタスであるという説を支持する証拠はあります」ラスミ教授は言います。
 しかし、タームロッドで見つかった様々な時代の人類の化石からの身体の研究とシミュレーション作成を続けることで、洪積世や氷河期以降の人類のタイへの定住または居住についての特定に役立つ、この地方での先史時代の人類の発達過程について一般的な見解を得ることができると、ラスミさんは考えています。
 「タームロッド地方では、それぞれ13,000年前、12,000年前、9,000年前、2,000年前の4人の化石を発見しました」と教授は説明しました。

 「もし私たちがこれらの化石からより多くの身体構造シミュレーションを行うことが出来れば、私たちは13,000年前の人類が他の時代の人類と身体的に似ているかどうかを特定することが出来るようになるでしょう。もし似ていれば、それらは先祖子孫の関係にある可能性があり、現在の全てのタイ人の祖先でもあるかもしれません。しかし、もしそれらの外見が大きく異なれば、それは現代タイ人の祖先ではなく、年を取って偶然この地で死んだ、あるいは埋葬されたものであると思われます。」

 タイでは先史時代の人類の痕跡が、それぞれ中国南部と北インドネシアに近い、北から南の地域にかけて発見されています。中国では1920年代以降に何百個もの500,000年前のホモ・エレクタスの化石が発掘されており、インドネシアでは19世紀に700,000年前のホモ・エレクタスの化石が見つかっています。
 化石から得た証拠によって、科学者たちは古代人類がこれらの国を移って行った模様を説明することが出来るようになりました。先史時代の人類の祖先が、定期的な移住を終え定住した場所がタイであると考えるのが安全ではありますが、そのように主張できる証拠はほとんどありません。
 「アジアでの先史時代の人間のストーリーの全容が明らかになれば、私たちは古代中国やインドネシアの人類について広い見解を得ることが出来ますが、タイの化石についてはほとんど分からないでしょう。中国で見つかったものに類似したこのホモ・エレクタスの化石は、何百年、何千年も前にはタイに人類がいたことを示していますが、中国から移住してきた証拠についてはほとんどありません。」
 「もしタイ各地からさらなる古代人類の化石が見つけることが出来れば、東南アジアの人類の進化の歴史的ストーリーや、さらには世界の先史時代の人類についての知見について、足りないパーツを埋めることができるかもしれません。」

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。

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どのくらいソンクラーンを愛しているかを言います。 2017-07-03

仕事や交通の危険からの長期間の脱出、全ての曲がり角での冷たくすがすがしい水しぶき、笑顔と幸せの伝播が、一年で一番暑く焼け付くような時期に起こるのです。しかし、それだけがソンクラーンの全てではありません。楽しい水の戦いの地帯の下にあるのは、伝統的で美しいタイの祭りであり、これは全てのソンクラーン参加者が知っておくべきことです。
 タイ・ビバレッジと観光スポーツ省、文化省、タイ王国海軍、タイ国・プーケット・チェンマイ・ウドンターニー政府観光庁、その他の団体の協力により、タイ旧正月の祝賀をコンセプトにした第三回「水祭り2017」が4月13日から16日にかけて開催され、地域の人々や旅行者がタイの伝統的な生活に隠された魔法を体感するために集まりました。

タイの音楽や踊りもあり、美しく飾り付けられた祭りは、タイの4地方全体で開催されたため、全ての旅行者が本物のタイの文化と価値を学び、体験することができました。
この文化的なイベントを逃して、情報から取り残されるのが怖くても、それは心配いりません。

今年のソンクラーンの様子を正確にお伝えします。(そしてあなたは来年のソンクラーンを楽しみにしていてください)
 バンコクでは、よく崇拝に訪れられるお寺であるワット・アルンやワット・フォー、バンコクで最も大きく歴史のあるワット・カラヤナミトルやワット・プラユーンウォンサワットから、アジアティーク・ザ・リバーフロントの桟橋、ヨッピマン・リバーウォークやター・マハラートまで、チャオプラヤー川沿いの7つのエリアで祭りが開催されました。
 イベント参加者に何が用意されていたかですって?ソンクラーン中に私たちが何をするかは知っていますよね。氷水で射程圏内の人を誰でも攻撃するのです、いいですね?はい、でも私たちは祝福と幸運を受けるために、仏様の絵や仏像にも水を注ぎます。これは平和に祝日を祝う方法です。創造的なアートのワークショップもありましたし、タイの4地域のおめでたい食べ物も振る舞われました。川沿いの食べ物市場では、国中の各県で一番の料理が振る舞われました。
 イベントはチェンマイやプーケット、ウドンターニーでも、伝統的なソンクラーンの祝賀とラーンナーの様式の長所を融合させて行われました。
 全体通してこの体験はどうだったか、ですか?本当の平和と幸せの感情に、タイ文化の精神に囲まれ、本物の地域の習慣や伝統に触れ、めいっぱい楽しむことができました。世界に誇るべき美しいタイ文化を広め、伝統的な暮らしを思い出させたイベントは大成功でした。最新のお祭りについて知りたい方は、下のリンクをチェックして、来年のお祭りを楽しみにしていてください。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。

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