タイの芸術・文化・創造

タイで就職したWEBデザイナーの日記

上手な生活を続けるための利便性の需要 2017-08-24

タイの消費者の成長する都市での生活が、インスタント加工食品の需要を加速させています。国の都市化に直面しているタイ人の間でコンビニエンスストアの需要が増しており、メーカーにとって主要経路のターゲットとなることが確実視されています。ジェンス・カストナーは東南アジアでの利便性の需要の増加に注目しています。

 タイの生活の変化が背景となり、タイでの利便性の需要は伸び続けています。
 無秩序なバンコク郊外の分譲マンションに住む人口の割合が過去最大となり、農村地域は産業クラスターへと変化を遂げ、交通渋滞が悪化し、より多くの家族が家の外で働くようになるにつれて、インスタント加工食品の選択肢の需要が高まっています。
 例えば、市場調査会社ユーロモニター・インターナショナルのイギリス拠点は、インスタント食品の小売価格が前年比10%上昇し、7.4バーツ(約25円)になると予想しています。ユーロモニターは、2015年のインスタント食品分野で1位2位を占めたタイの会社チャルーン・ポーカパン・フーズ(CPF)とS&Pシンディケートに注目しています。初めは醸造会社だったタイ・ビバレッジ(タイビブ)とシンガ・コーポレーションも、インスタント食品業界の主要企業となっています。
 「調理する時間が無いので、調理済み商品や、冷凍食品、無菌製品がタイ中のコンビニにあるのです」と、チェンマイ大学 農産学部のピチャヤ・プーンラープ助教授は言いました。「冷凍か無菌パックの商品は、消費者は購入後にお店のスタッフに電子レンジで温めてもらうようお願いできます。」
 プーンラープさんはタイのコンビニで販売されている最も人気のインスタント食品として、ミントの焼きチキンとライスや、焼き飯、ワンタンスープ、ニンニク炒めと唐辛子の豚肉とライス、焼きビーフン、カレーライスを挙げています。そして、ハンバーガーやピザなどのアメリカンスタイルのファストフードは子どもたちやティーンの間で人気な一方、15〜50歳の年齢層は寿司やラーメンなどの日本式の調理済み食品を好んでいるようです。
 ユーロモニター・インターナショナル シンガポール拠点の上級リサーチアナリストであるエミル・ファジラは、外食産業の発展がインスタント食品分野の穴を埋める動向を見せていることを指摘しています。「多くの新しい飲食店が2015年に開店し、多くのタイ人に外国の料理を食べる機会が増えたため、伝統的な料理の小休止として即席食品を選ぶことがあるようです」と彼女は言います。
 インスタント食品のタイでの成功はコンビニの成功にも直結しており、昨年10月に公開されたタイの食品業界に関するミンテル・レポートによると、コンビニ店舗数は今や30,000店にものぼり、1店舗につき5,500人の顧客がいるとのことです。バンコクのシラパコーン大学の調査によると、食品を販売するガソリンスタンドの店舗も増えているそうです。一方で、CPFは即席食品をセブンイレブン8,500店舗とCPフレッシュマート700店舗に出荷しており、タイの調理済み食品の最前線として絶大な注目を集めています。
 タイでの利便性の分野の成長は、即席食品に好機を与えただけではありません。ニュージーランドの乳業の巨大企業フォンテラも、国内での成長計画の核としてコンビニを見ています。
 タイでフォンテラのブランドビジネスの代表取締役を務めるポール・リチャーズさんは、「コンビニ業界がタイの小売産業の土台であることに疑いはありません」と言います。ニールセンが出したデータを参照すると、タイの日用消費財の売り上げの4分の1をコンビニが占めていると、リチャーズは言います。「私たちはこの業界で強力なブランドを持つことによって、乳製品の栄養と利便性の需要が増えている大きな街や観光地に販路を広げることを可能にしてきました。しかし、販路はコンビニに移りましたが、消費者は変わらず品質や多様性、高級ブランド商品を求めています」リチャーズは言います。

>タイで有名なコンビニ「セブンイレブン」を紹介します。
https://www.7eleven.co.th/

 リチャーズは、フォンテラが「新メニューや革新的な乳製品のソリューション開発のために主要なコンビニエンスストアと提携している」と説明し、グループの外食企業であるアンカー・フード・プロフェッショナルズ、大人向けの牛乳のラインであるアンレン、母子向けのブランドであるアンマムを例に挙げました。「私たちのアンカー・フード・プロフェッショナルズ チームは、現代のタイ人消費者の味覚の変化や、出先で食べられる食事のニーズに応えるために、セブンイレブンと共同でカルボナーラとホットサンドを開発しました。さらに私たちはアンレン・ゴールドUHTとアンマムUHTをセブンイレブン商品として初めて立ち上げ、液体状のアンレンとアンマム製品を入手しに来店する消費者を大幅に増やしました。その結果、アンマムUHTの売り上げは昨年度と比べて48%伸びました。」
 タイのコンビニを介する流通経路は、国内でコンビニ事業を成長させ続ける挑戦に貢献することになると、リチャーズは言います。リサーチ・アンド・マーケッツ アイルランド支店の予想を参照し、コンビニの店舗数は2020年まで毎年12%増えると予想されていると、彼は付け加えました。「これは将来の発展のためにわれわれが注目している流通経路です」と彼は言います。
 バンコクのカセサート大学 農産学部 梱包・素材テクノロジー学科長のトゥニャルット・ジンカーンは、タイのコンビニ流通の強さは、ハンバーガー店から伝統的な屋台食まで様々なファストフード業界にとって重大な脅威だと主張しています。「即席食品の価格が比較的安めなので、即席食品はファストフードと価格の点で真っ向から競争してしまいます」と、ジンカーンは説明します。「しかしファストフード業界とは異なり、CPFのような即席食品会社は活発な研究開発によって常に新しい即席食品を立ち上げ、テレビやインターネット、チラシを通して宣伝します。」
 値段や利便性、材料の健全さ、さらには製造技術に焦点を当てた販売キャンペーンは、屋台食が遅れていて汚染されているという印象を消費者に持たせていると、ジンカーンは言います。「即席食品は一般的にGMP(医薬品製造管理および品質管理基準)で承認を受けた、汚染の心配がわずかもしくは全く無い工場で製造されています」と彼女は言います。
 これから即席食品の強みとなってゆくのが、例えばタイ人口6,800万人のうち3,000万人が利用している、爆発的人気のインターネットアプリLINEを介すことです。「タイでは他の東南アジアと比べて珍しく、企業が消費者と繋がるためにLINEを利用しており、地域や海外のセレブをブランドアンバサダーに起用するなどもしています。シンガ・コーポレーションの即席食品ブランドであるスター・シェフのブランドアンバサダーには日本人シェフのかずみ やすじろうが起用されています」と、ファジラは言います。
 カセサート大学のジンカーンは、タイの食品産業の即席食品分野は、活発化した研究開発によって年度中期にかなり強力に成長すると見ています。
 タイは5月に、国を世界的な食品革新の中心として位置付けるため、パブリック・プライベート・パートナーシップ(PPP:官と民が提携して事業を行う)計画に基づき、バンコクのイノベーションセンターフード・イノポリスを立ち上げました。センターで仕事をする企業は、法人税が8年間免除になり、中小企業であれば税金が10%減額となり、海外の投資家がバンコク・サイエンスパークの一角に土地を所有できるなど、インセンティブを受けられます。
 「私たちは企業の政府や大学との調整も手助けしています」とフード・イノポリスの事業開発責任者スチーラ・アーチャロエーンは説明します。
 タイ科学技術省によると、フード・イノポリスの参加者は9,000の食品工場、3,000名の研究者、10,000人の食品科学技術科の学生、150の食品研究所、20のパイロットプラント、70大学にものぼります。現在、約45%のタイ食品の輸出が未加工の生鮮食品ですが、省が計画している通りフード・イノポリスが付加価値のあるイノベーションを生み出すことができれば、この割合は減少するはずです。
 「フード・イノポリスや、アーントーン県の食品研究開発センターであるワールド・フード・バレーのような計画が立ち上げられたように、研究開発に関する激しい省庁協力が起こっています」とジンカーンは言います。「関係する大学や食品産業の人たちはとても積極的で、沢山のセミナーや投資の仲介イベントが開催されています。私はこうしたイベントは、タイの即席食品の国内および海外競争にとってプラスになると考えています。」
 タイ消費者の購買力の増加は、今後も便利な食べ物の選択肢への要求を活発化させ続け、加工食品メーカーにとって絶好のチャンスとなりそうです。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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カテゴリー: 料理

屋台が無くなり、バンコクの歩道の辛みが弱くなった 2017-08-17

無秩序な首都に要求を課すための、タイ軍事政権による取り組みの新たな矛先に向いています。

最近のバンコク市職員による取り締まりは、首都の暑く湿気の多い歩道の名物となっている、タイ特有のヌードルや辛いトムヤンクンスープなどあらゆるものを売る屋台の商人たちに及んでいます。金属製の折り畳みテーブルとぐらつくプラスチック製の腰掛けがある屋台は、財布を気にする地域の人々や冒険好きな旅行者にとっての頼れる美食の場となっています。

「屋台の食べ物は生活の大部分を占めています」市の中でも最先端を行くトンロー地域で10年以上暮らしている、株式仲介人のノン・ノンティスクンさん(29)は言いました。「毎日高級なレストランで食べている人だって、屋台の食べ物はやめられませんよ。早いし、美味しいし、半分の値段もしませんから。」
 市職員は屋台の食べ物を違法の迷惑行為と認識しており、次の月曜までに立ち退くよう行商人たちに警告してきました。彼らは、立ち退きはすぐに他の地域にも広がるだろうと言っています。2014年のクーデター以降タイを治め、悪徳政治家や歩道の混雑に至るまでを排除し、タイ社会を綺麗にするよう圧力をかけてきた軍事政府によって、市職員たちは取り締まりを強いられています。
 この流れは、街の市場からビーチパラソルや値段を上げた宝くじまで全ての店に対して、時に不器用な取り締まりを行う結果となりました。目撃者は言っています、失脚した政府とその人民主義の思想を支持していた多くの貧困層が、軍事政府が支援する運動の矢面に立たされており、歩道を綺麗にする取り組みは、商人と労働者階級の客に最も強い打撃を与えるでしょうと。
 腐敗、売春、汚染、交通安全などに対するタイの取り締まりは、軍事政府によるものですが、つかの間で悪名高いものです。しかし、市の職員は乱暴に説得にあたっています。
 バンコク地区の長であり、管轄区内の歩道を空にする仕事を課されているブーンターム・フイプラサートさんは、交通の混雑や生ごみの蓄積と闘うため、屋台の商人は立ち退かされていると言います。
 取り締まりが近所の街に広がる次の月曜までに、トンローの90の商人と屋台は立ち退かなければならないと、ブーンタームさんは言いました。違反者には最高2,000バーツ(約6,620円)の罰金が科せられます。
 「ただ歩道で商売をしなければいいのです」ブーンタームさんは言いました。「歩道で物を売っている人は、場所の使用料を払っていません。今はあまりにもそういう人が多いので、私たちも社会を整理しなければならないのです。」
 事実、食べ物の商人たちは、市の職員に対して内密に毎月少額の支払いをしていると言います。このような警察や軍との結びつきのある実力者への支払いが、バンコクの無秩序な闇経済を現実にしているというのは、公然の秘密なのです。ブーンタームさんは、公式でないこのような支払いが起こっていることに気付いていなかったと話しました。
 スーチン・ワナサトルさんは、トンローの歩道で20年以上、カオカムー(豚足煮込み)を40バーツ(約130円)で売ってきました。47歳の彼は、近隣の商人と同じ額である1,000バーツ(約3,300円)の支払いを毎月続けるため、真面目に努力してきました。彼は現在、歩道の売り場から1.5キロメートル離れた場所に本当のレストランを開店する準備をしています。35,000バーツ(約11万6千円)の賃貸料は、3人の屋台商人仲間で分割して支払うつもりです。
 「この地域に常連のお客さんがいるので、私はここに留まらなければいけません」スーチンさんは言いました。「娘を学校に行かせるために、私にできることは何でもしています。彼女が卒業したら、バンコクの外に引っ越そうと思います。ここでの生活は厳しいです。」

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 評論家は、政府は商人たちを援助し、政府の規制や分譲マンション、ショッピングモール、オフィスビルの再開発によって失われている、バンコクに活気を与える独特の無秩序を一部残すべきだと主張しています。
 屋台のある地区に対する運動が定着すると、旅行客はイモムシの素揚げや焼いた豚の腸、伝説的に臭いフルーツのドリアンを見かけることも無くなります。お洒落なバーやレストランが屋台のように料理をビニール袋に入れ、口を輪ゴムできつく縛って渡してくれることなど無いでしょう。
 「私は仕事を無くしたように感じていて、これから何をすれば良いかも分かりません」コーヒーを30バーツ(約99円)で販売している、39歳のウボルワッタナ・ミンクヮンさんは言いました。「トンローの賃貸料を払う余裕はありません。」
 「市の役員に、理解と援助をお願いしたんです」彼女は言いました。「みんな『ダメ、ダメ、ダメ』と言います。もう指令を受けてしまったと言うのです。」

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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タイの地域社会は伝統芸能、食べ物で魅了する 2017-08-11

旅行者のほとんどはバンコクをショッピングの行き先として見ていますが、近隣の地区では、過去を旅しているような保存された芸術や食べ物の文化を体験することができます。
 「微笑みの国」で売っているタイは、アジアの人気旅行スポットの一つです。首都のバンコクは華やかな夜の街や高級ショッピングセンターがあることで知られていますが、それ以外の見どころも沢山あります。
 民主記念塔から徒歩5〜10分の場所にあるナンレンは、1990年代に戻ったような体験ができる、バンコク内の小さな地区です。タイの旅行代理店HiveStersは、国連開発計画とバンコク都庁と提携し、消滅の危機にあるナンレンや他のバンコクの伝統的な5地区の保存に取り組んでいます。

 「現代の若い世代の人々は、私たちの文化をあまり重要だと思っていないからか、あまり文化について気にしていません。彼らが求めているのは、西洋の技術を追いかけることです」と、ツアーガイドのチャクリット・ケントンさんは、タイ国政府観光庁とタイ航空フィリピンがスポンサーを務めるメディアゲストに話しました。
 「この世代がいなくなると、これは私たちの文化から消えてしまいます。保存するための最善の方法は、文化や習慣を次の世代に伝えていくことです。他にできることとしては、旅行者に伝えることです、旅行者は世界にそれを伝えてくれますから。」
 このあたりの目印の一つである、富裕層向けのハイエンドな映画館だったサラ・チャオエム・タニ・シネマも、ナンレンに位置しています。整備資金の不足によって’90年代前半に閉店しました。

<家庭料理、デザート>
 ナンレンの市場は、家庭の料理やタイデザートまで楽しい食の経験を提供しています。お昼時にはいつも人で溢れ返っています。
 ホンおばあちゃんの愛称で呼ばれる90代の女性はこの地区に住み、第二次世界大戦の頃からタイのデザートを作っています。彼女は現代に生きるために、今でも続けています。
 ヤシのケーキや蒸しバナナケーキ、タイタロ芋カスタードケーキなどの美味しいデザートが揃えられています。
 「それぞれのデザートの材料を準備するのには長い時間がかかります。時代を超えて、彼女はこの地区の人々に提供するためにこれを続けているのです。彼女が亡くなると、誰もこれを引き継げなくなります」ケントンさんは言います。
 ホンおばあちゃんが一番忙しいのは朝ですが、この時間帯に訪れた人は彼女がデザートを準備するのを見ることができます。
 ナンレン市場は食愛好家にとって理想郷でもあります。普通の海鮮食材、肉、野菜の他に、他でなかなか見つからない食材もここではいつでも売られています。いくつかの露店も、主にもち米とココナッツミルクで作られたタイ料理とデザートを売っています。小さなレストランやフードコートもあります。
 一部のツアーには、露店や通りでよく売られている、地域で人気のパッドタイや焼きそばの作り方講座も含まれています。

<フォークダンス>
 訪れた人は、今のタイではほとんど行われていない、チャトリという伝統的なフォークダンスを教わることができます。ダンスを学びたい人には、70代のカニャおばさんが教えてくれます。
 「私たちの伝統的なダンスは今や消えかけています。練習するのが大変なので、若い世代の人はやりたがらないのです」と、ケントンさんは言います。
 ダンサーの家庭に生まれたカニャおばさんは、若い頃からチャトリを練習してきました。彼女が住んでいる家は、100年前の彼女の先祖から引き継がれています。
 旅行者は儀式に使われていたパンプァンやタイの高級な香り粉の冠の作り方を教わることもできます。これは、タイのハーブで作られた香りの粉を宝石の粉と混ぜて作られます。
 冠は女性が髪に香りを付けるためのアクセサリーとしても使うことができます。
 「この慣習は、どのようにやるのかを誰も知らないので、消えかけています」ケントンさんは言いました。

<芸術愛好家向け>
 ナンレン外のバンコクの魅力として、芸術を愛する人が絶対に逃してはいけないのが、華やかな内装を持つ新古典主義のルネッサンス様式の建造物、アナンタサマーコム宮殿です。金やその他の高級な材料で作られた洗練された芸術品の数々が、チャクリー王朝を描いた壁画と共に展示されています。
 ラーマ国王の時代である1900年代前期には迎賓館として使われていましたが、現在は美術館となっています。
 館内での写真撮影は禁止されています。さらに厳しいドレスコードが設けられています。ビーチサンダル、ショートパンツ、ダメージジーンズやノースリーブシャツは禁止です。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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スパイシーなインスタント麺に対するタイの熱狂 2017-07-22

ミッチ・タナラットさん(25)は2013年に初めて日本に留学に行った際、スーツケースにママー インスタント麺を詰めて持って行きました。
 彼女は4年経った今でも、東京に行く際には毎回、有名なタイのヌードルを荷物に詰めるでしょう。日本の即席麺と比べて辛い「ママー」のヌードルが好きなのだそうです。お気に入りの味はイェン・ター・フォー ビーフンとのことです。
 ミッチさんのように海外留学でタイを離れる若い学生は、食べ慣れた物が恋しくなった時のために、インスタント麺を用意して行くようです。他のタイからの海外移住者は、インスタント麺を海外のアジアンストアで買うのだとか。
 「日本で即席麺を買うと高いんです」ミッチさんは言います。ストックが無くなると、彼女は日本に旅行に来る友達に彼女の分を持ってきてもらうよう頼むそうです。
決して大げさではなく、タイ人は地元のインスタント麺を愛しているのです。2013年のアンケートでは、タイ人1人につき1年に平均43パックのインスタント麺を食べていることが分かりました。
「ママー」は主要なブランドで、市場の50%以上を占めています。「ワイワイ」も国内では有名なインスタント麺ブランドです。
そしてグローバル化に伴い、故郷の味を懐かしがる海外移住者のために、今ではママーヌードルのような商品が海外でも手に入るようになっています。
ママーを製造しているタイ・プレジデントフーズ株式会社は、ヌードルを輸出し、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカや、他のアジア地域の小売チェーンを介して流通させています。
2011年にタイで起こった大洪水の際には、新鮮な食べ物を調達出来なくなった集落の空腹を和らげるために、インスタント麺が一役買いました。ママーヌードルの60グラムパックはたった6バーツで販売されているので、非常に求めやすいのです。

麺メーカーが高コストな製造法に切り替えられないよう、政府がヌードルの価格を規制しています。
「他に何なら6バーツで買えるでしょうか。小さいボトル入りの水ですらもっと高いですよ」タイ・プレジデントフーズのチャンポル・テミヤサチット研究開発部長代理は言いました。
ママーヌードルは、行商人やレストランでも料理に使われています。ヤム・ママー(ママーヌードルのサラダ)やパッド・ママー、古き良き焼きママーヌードルなどがあります。
旅行者がこれほど辛いインスタント麺があることを知り、驚くこともしばしばです。
チュラーロンコーン大学の近くにあるレストラン ジェ・オー・チュラーには、イカとエビが山盛りの名物料理、ママー トムヤムシーフードを食べるため、地元の人も旅行者も詰めかけます。
ところが、一日に4,000ミリグラム以上のナトリウムを摂取するタイ人の生活を健康的に改善するため、政府が麺市場に対しても取り組みを講じています。タイ人のナトリウム摂取量は、世界保健機関が推奨する一日に2,000ミリグラムもしくは小さじ一杯未満の量の、2倍以上にあたります。
タイ王国保健省は、ナトリウムの過剰摂取は危険であり、高血圧や糖尿病、心臓病、腎臓病、がんなど多くの病気の原因になると警告しています。
タイ国食品医薬品承認局(FDA)は3月に関連機関と会談し、主に冷凍食品と香辛料の製造におけるナトリウムの使用量を制限することで合意しました。
健康的な選択のための計画の下、インスタント麺50グラム中に1グラムのナトリウムしか使用することが出来なくなりました。60グラムのママーヌードルには1.61グラムのナトリウムが含まれています。タイ・プレジデントフーズのようなメーカーは、この計画と、レシピを変えることによる味の変化で顧客を失うかもしれない恐怖との間で、板挟みになっています。
チャンポル氏は、メーカーがレシピを変える必要に迫られれば、最終的にヌードルの価格は上がるかもしれないと言います。ママーの健康的な商品が市場に登場したとしても、以前の人気は保てず、値段も高くなるかもしれません。
「私たちには2つ考えなければならないことがあります。お客様が求める味を作ることと、価格です」と彼は言いました。
しかし彼は、メーカーはFDAの新規制の下ではどうすることも出来ないと付け加えました。会社では数年前にグルタミン酸使用量を減らしたレシピの開発に着手したものの、後回しになっているそうです。
「市場が健康志向に傾いていくのであれば、私たちも対応していかなければなりません」彼はそう話しました。
ミッチさんのようなヌードル愛好家にとってはタイのインスタント麺はすでに暮らしの一部であり、近い将来その味が無くなるなど信じ難いようです。
「いずれにせよ頻繁に食べず、寒い時や故郷が恋しくなった時にだけ食べます」彼女は言いました。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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カリナリーアートを極める② 2017-07-12

マリサ・ウィライロジォラクルさん(18)とご両親の間では、テレビ番組に出ることが交渉の条件になっています。
「私の母は経理の勉強をしてほしいと言っているのですが、私は彼女の気持ちを変えたいんです。もし私がマスターシェフの出演者になることができたら、母は私が料理学校へ進学することに賛成してくれるでしょう。」オーディションで南部の料理であるターメリックのフィッシュフライを作った、パンガー出身のティーンである彼女はそう言いました。
勝者にはマスターシェフの称号に加え、トロフィーと100万バーツ(約330万円)、料理本を出版する権利が与えられます。
製作責任者は、マスターシェフのタイ版を、今では50か国以上に広がったイギリスのオリジナル版と同じような、世界レベルの番組しようとしています。世界的にも有名なタイ料理があることが、この野望を成し遂げる基盤になります。有名な料理文化があるにも関わらずこれまでタイで料理バトルブームが起こらなかったことは不思議なくらいです。
「激しいドラマと闘争が特色のアメリカ版のようにしたり、チーム構成と芸術性を際立たせたオーストラリア版のようにしたりしないのかと聞かれたことがあります。タイ版マスターシェフはこの二つの中間だと言わせてもらいます。」
ヘリコニアHグループは番組の規格を満たすため、スーパーマーケットやレストランを完備した専用スタジオの建設費を含む7千万バーツ(約2億3千万円)を番組制作費として注ぎ込みました。
ル・コルドン・ブルー デュシット校出身の経歴を持つ、女優のピヤシダ・ミッチラロシュが番組司会に抜擢され、ML(モムルワン:下級王族の階級)パルソン・スヴァスティ、ML クワンティップ・ディヴァクラ、ポンタワット・イアン・シャラームキッチチャイ シェフが名誉審査員に就任しました。
オーディション後、コンテスト参加者は料理スキルのテストを受け、マスターシェフキッチンでのより熾烈な戦いに挑む16名が選出されます。


ファイナリスト達は4つのチャレンジを乗り越えなければなりません。ミステリーボックスチャレンジでは用意された食材の組み合わせから一品を用意し、創作料理テストでは別の一品を創作します。そしてアウトドアチャレンジでは大勢の人に料理を振る舞い、プレッシャーテストではスタンダードな料理を厳しい制限時間の中で仕上げなければなりません。
「プロの料理には、家で自分や家族に振る舞う料理よりもはるかに求められるものが多いです。」イアンシェフは言います。「マスターシェフのチャレンジでは参加者に難しい質問をして困らせたり、時間制限のプレッシャーを与えたりします。この試練を受けるだけの創造性と決意を持った才能ある人を、私たちは探しています。また番組でチームワークや企画力、経営力が問われる点も、参加者にとっては短期間の研修のようなトレーニングになります。」
イアンシェフは、参加者がつらい課題を乗り越えられるよう導き、助けになる審査員であることを約束しています。タイ版料理の鉄人のレギュラーシェフの一人でもある彼は、料理番組がどれほど人々を彼と同じようにシェフになりたいと掻き立ててきたかを大切に受け止めています。
「シェフが人気の職業になって以来、さらに多くのタイ人がシェフになりたいと思っているかと思います。しかし、マスターシェフキッチンでの試練は厳しく、恐ろしく忙しいことを心にとめておいてほしいです。しかし、実際のレストランでの仕事はそれよりもさらに大変です。」
本場タイ料理の専門家であるMLクワンティップは、シェフが骨の折れる職業であることを、番組での実演が示していると言います。
彼女は言いました。「シェフは食材の調達や、調理場の安全衛生管理、料理人の監督など、キッチンの全てに責任を持つ、名声のある称号なのです。」
彼女は、YouTubeを見るなど独学で勉強してきた若いアマチュア料理人に番組で出会えることを喜んでいます。タイ版マスターシェフが料理スターを仕込むと同時に、コンテスト参加者もシェフに必要な資質を自分が持っているかどうかを、自分自身で見つけてゆくでしょう。
「もちろん情熱の有無にもよりますが、マスターシェフキッチンで責任と重圧の下に置かれれば、彼らが本当にシェフになりたいのかどうか、自分自身で答えを出すことができるでしょう」と彼女は言いました。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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カリナリーアートを極める① 2017-07-08

人気国際料理コンテストのタイ版で、有望な参加者が審査員の心を打ち、マスターシェフのタイトルを勝ち取る

カリナリーアート
料理芸術。食材選び、メニュープレゼン、仕込み、盛り付け、提供、食卓や空間づくりを統合したもので、日本でいうところの割烹料理に近いです。

テレビで放映される、唐辛子を切る様子、魚を焼く模様、ステーキを煮込む光景…。タイのテレビでは料理番組の数が増えてきており、その美味しそうな光景で人々を魅了しています。料理芸術はタイでは既に有名ですが、今後更なる進化を遂げるのではないかと思われます。
プロのシェフたちが人気番組「タイ版 料理の鉄人(Iron Chef Thailand)」や「タイ版 トップ・シェフ(Top Chef Thailand)」で熱い戦いを繰り広げる中、アマチュア料理人は「マスターシェフ(MasterChef)」のタイ版で、カリナリーの腕を試し始めています。
6月4日より7チャンネルで放送開始したタイ版マスターシェフの初シーズンでは、全2,500人の応募者の中に消防士、占い師、マジシャン、オペラ歌手、さらにはレスラーまで実に様々な職業の料理人がいました。オーディションラウンドでは、希望に満ちた120人の参加者が、3人の審査員の目の前で各々の看板メニューを披露します。2人の審査員の承認を得た参加者が、ファイナル出場を許される、栄誉あるホワイトエプロンを手にすることができるのです。
「料理は私の幸せそのものです。マスターシェフへの参加は私にとって人生の転機になるかもしれない、とても重要なイベントなのです。」楽しげなマンゴーデザートのトリオを用意したパウィーナッチ・ヨドプレチャビジットさん(24)は言いました。
彼女の家族は、彼女が料理の道に進むことに賛成していませんでした。厳しいチャレンジで有名な次のラウンドへの切符を勝ち取るため、優しく繊細な性格の彼女にとっては苦痛でもある、サーモンをさばく試練を乗り越えなければなりませんでした。
パウィーナッチさんは最終的にマスターシェフの選考を勝ち抜き、オーディション合格の通知を受けて喜びの涙を流しました。


グラフィックデザイナーのプーニャネート・タナップラパットさんはホタテガイとフランス産トリュフの一品で審査を勝ち抜き、喜びのあまりホワイトエプロンを振りながら跳び跳ねました。「タイ版マスターシェフが家庭料理の鉄人をお探しなら、私が適任です」と彼女は断言しました。
マジシャンのアピポン・デツファさんは、バターレモンソースで評価を落としたものの、ウェルダンのマトウダイの料理と、はじけた風船から木製スプーンが現れる手品で審査員を感動させました。
コーンケーン出身のガレージオーナーであるソンポン・ジラジットミーチャイさんは、イーサーン地方の郷土料理であるモックヒューアグをオタマジャクシを使って仕上げ、審査員に提供しました。彼女のプレゼンテーションは良いとは言えなかったものの、料理の風味の豊かさが評価され、象徴的なエプロンを獲得することができました。
タイ版マスターシェフと料理の鉄人のプロデューサーを務める、ヘリコニア Hグループ最高責任者キチコーン・ペンロテ氏はこう言いました。「料理が全てではないんです。コンテスト参加者はそれぞれ胸を打つ人生のストーリーを、番組に持って来ます。私たち製作者側では、涙のドラマを作り込む必要なんてないのです。家庭料理人はみなさん同じように情熱を持ち、タイの最初のマスターシェフになりたいと本気で思っているのです。」
まだ数少ない料理コンテスト番組は、歌唱コンテストやクイズ番組、連続ドラマばかりに注目しているタイのプロデューサーには注目されないことが多いです。キチコーン氏は、料理コンテストは視聴者に新たな人生の選択肢を提案できる、素晴らしい番組であると信じています。
彼は5年前に、キッチン・スタジアムでプロのシェフが腕を競う、日本で生まれた料理番組「料理の鉄人」をタイのテレビ向けにリメイクしました。各回、決められた食材を用いたタイムバトルの中で、ゲストのシェフが番組専任の料理の鉄人に挑みます。

タイ版料理の鉄人は放送200回を超え、料理番組ブームの火付け役となったと思われます。製作チームがカリナリーアートに興味を持つ視聴者にとって楽しく、勉強になる番組をつくる方法を身に付けてきたので、キチコーン氏はこのまま番組製作を続けるつもりです。
「タイ版料理の鉄人は、プロのシェフになることに対する興味を掻き立てることができます。」キチコーン氏は言いました。「昔は、親は子供に医者やエンジニア、他の尊敬される職業に就いてほしいと思うものでした。今では子供が他のキャリアパスを歩み、親がそれを支持することに寛容になっています。より多くのタイの料理人を育てることで、タイのカリナリーアートと料理産業の発展に貢献できるでしょう。」
この思いは、カリナリーの腕を証明したいという大勢の若いタイ版マスターシェフ応募者に、また時には彼らの親にも影響しています。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
カリナリーアートを極める① へのコメントはまだありません