タイの芸術・文化・創造

タイで就職したWEBデザイナーの日記

タイでWEBデザイナーとして就職する方法 2017-09-17

少し前に書いた「フリーランスのWEBデザイナーとして活動していた私が就職したわけ」がアクセスが好調なので、今回はタイでWEBデザイナーとして就職したい人向けに書いてみます。

私がタイでWEBデザイナーとして就職してから少し経ちますが、現在の会社で採用責任者としてタイ人や日本人だけでなく近隣のベトナム人の書類選考や面接(ベトナム人は最終面接のみ)を行っているので、現在海外で求職中の人には少し役に立つのではないかと思います。

①実務経験3年以上でHTML以外の知識があること

私が再就職をしたのは2013年夏です。その時は、まだWEBデザイナーの需要が今よりもまだあったので求人票に書かれていた条件は専門学校を卒業しているか、就業経験3年以上というのがほとんどだったと思います。給料が安いものであれば就業経験を問わないものもありました。
給料が安い求人の場合は、他の条件としてHTMLやCSSを理解していることでした。これさえ出来れば最低賃金はもらえました。(私はフリーランスで働いていたこともあり、HTMLやCSSだけでなくCGIやPHPも多少理解していました。またイラストレーターやフォトショップも使え、SEOの知識がありましたので、他の人よりも給料は高かったです。)
しかし現在は実務経験が3年もしくは5年を課すことが多く、専門学校や大学を卒業しただけのレベルでは採用されることは少ないです。専門学校や大学を卒業したばかりで実務経験が無い方で就職先を探してい場合は、HTMLとCSS以外にも何か他に出来るものを習得している必要があります。
若い方の中には東南アジアだからHTMLの知識だけでも大丈夫だと考えている方がいます。そんな方は書類選考で落とさせて頂いています。その理由として、タイの場合は日本人の最低賃金が5万バーツと法律で決まっているため、現地スタッフと同じ力量の人に現地スタッフより高い給料を払うことはありえないからです。また、そういった方の多くは「働きながら勉強したい。」と履歴書に記載しています。本人は前向きな意思や向上心ということを伝えたく記載されているようですが、海外では先述の理由により良い意味には取られません。

②語学力は必須

タイやベトナムの現地スタッフの多くは英語が可能なことが多いです。IT系の職種は、日本だと技術屋のイメージが強いかも知れませんが、こちらでは技術はもちろんのことだが、頭がいい人の仕事のイメージが強いように思います。そのため、ほとんどのスタッフが英語が話せます。レベルはまちまちですが仕事においては問題ありません。しかし、日本語を話せるスタッフになると、英語よりも特殊な言語となるため必然と少なくなってしまいます。そのことから、社内公用語を英語にしている会社が多いので、英語力は必須です。目安としては日常会話以上話せれば良いです。

③求人サイトより人材紹介会社

採用担当の私の意見というよりも、あくまでも個人の意見として受け取って欲しいです。
個人で求人サイトを利用して探す方が、人材紹介会社に依頼するよりも流れなどがスムーズに感じるかも知れません。しかし、いざ採用となった時に給料や待遇面の交渉をする際に個人だとはっきりと言えない方が多いと思います。私もそのタイプです。両方で探しましたが、うまく交渉出来ませんでした。同じようなことを人材紹介会社の担当者に話して、人材紹介会社を通して採用を頂いた今の会社へ伝えてもらいました。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
タイでWEBデザイナーとして就職する方法 へのコメントはまだありません
タグ: , ,
カテゴリー: WEBデザイナー就職

豊田通商が60周年を記念フェスティバル開催 2017-09-07

豊田通商(タイランド)株式会社が、60周年を記念して「豊通ジャパンフェスティバル」を開催します。

豊田通商(タイランド)株式会社とは、トヨタグループ唯一の総合商社です。
また同グループのIT部門として、TT Networkがあり、タイではネットワーク構築やシステム構築などを行っています。

この会社は60年間、毎年トラクターやフォークリフトなど大きな機械の輸入とサプライチェーンマネジメントを行ってきました。収益の割合は、80%を自動車製品が、残りの20%を非自動車製品が占めています。また現地スタッフを積極的に採用しており、多くのタイ人スタッフが働いています。

現在のマネジメントチームは大場 清義(おおば きよよし)社長と、アヌータ・ジャオヴィシダ財務経理部長から成っています。
同社は事業の成長への期待を叶えるべく、日本からの輸入製品や豊田通商タイランドで製造された製品を中心に、消費生活製品分野に事業を拡大する準備をしています。
「豊通ジャパンフェスティバル」の間、同社は日本の主要ブランドを含む100以上の店を巻き込み、日本の生活用品を展示する予定です。
西川マットレスやスガハラガラス、10 mois(ディモワ)の赤ちゃん向けオーガニック製品、食の劇団の有機フルーツ、たち吉の陶器などの消費生活製品を購入できます。
消費者製品やファッション、旅行、枕、健康マットレス、インフルエンザ検査装置を含む多様な生活用品が一か所に集まるのは、このフェスティバルが初めてです。これらの生活の質を上げる生活製品は、タイの消費者と、タイの日系企業で働く日本人(現地採用や駐在員)や日本人移住者のニーズに応えます。このフェスティバルで生まれる総収益はおよそ3,000万〜4,000万バーツ(約1億円)になると期待されています。

現地採用
海外に進出した企業等が所在地にて生活する採用を行った社員のこと。日本採用の駐在員と比べると給料や待遇面では劣る部分が多いものの、(会社による違いはありますが)生活においての制約が少ない。

>タイで現地採用として働く際に登録した人材紹介会社会社を2つ紹介します。
https://kyujin.careerlink.asia/thailand
http://saiyo.co.th/

社長の大場 清義は、「私たちの会社は60年間事業を展開し、あらゆる県の学校に教育メディアを寄贈する『60周年−60学校プロジェクト』を通して、企業の社会的責任を果たそうとしています」「それらの学校から多くの卒業生を採用しています」と言いました。
「事業に関しては、私たちの唯一無二のスキルは自動車分野ですが、今後もサプライチェーンマネジメントに重きを置き、他の事業部門にも拡大していくつもりです。私たちの製品は市場での流通において最終製品ではありません。それよりも、市場で販売される最終製品の製造に用いられる装置が代表的です。」
「豊通ジャパンフェスティバル2017の計画は、私たちが消費者製品を扱う上での最初の一歩です。目玉である質の良い日本の消費者製品は、全ての家族の生活の質に対する消費者欲求を満たしてくれると、私たちは信じています。私たちの製品は子ども、働くティーン、家族のカテゴリーにも分類されています。」
アヌータ・ジャオヴィシダ財務経理部長は、「経営者そして豊田通商タイランドの3代目の後継者として、従業員の生活と世界情勢への配慮に関する会社の方針のおかげで、私たちの事業は従業員に恩恵をもたらし、タイ経済の発展に貢献してきたと言えます。」
「60年間の事業の中で、今回は私たちの製品とサービスは最も消費者の生活に近いです。豊通ジャパンフェスティバルは豊田通商グループや家族やタイ在住日本人が待ち望んでいる、最も楽しいイベントとして知られています。私たちはフェスティバルの2日間で50,000人の来場者を呼び込む狙いです。イベントでは膨大な量の日本の生活製品を取り上げます。」
「豊通ジャパンフェスティバル」は2017年7月29日、30日の間、サイアムパラゴンショッピングモール内のロイヤルパラゴンホールで開催されます。イベントについて詳細を知りたい方は、Facebookファンページ「Toyotsu Japan Festival」をフォローしてください。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
豊田通商が60周年を記念フェスティバル開催 へのコメントはまだありません

タイ観光省がより多くの日本人女性を招こうとしています。 2017-09-03

タイに訪れた際、日本人女性は男性と比べて平均5%多くの費用を消費しています。そのため、タイ観光・スポーツ省は、男性よりも多くのお金を消費する日本人女性観光客を呼び込む狙いです。

アサンプション大学が主催した【ビジネスと社会での女性のリーダーシップを強化する】というランチョンセミナーの中で、コブカン・ワッタナラクル観光スポーツ省長は、「日本人女性にとってタイをより魅力的に感じてもらうため、ムエタイ、瞑想、ショッピング、郷土料理や織物、さらには有機園芸などのアクティビティを推進していく」と宣言しました。
「タイ料理はその味と独特のスタイルから既によく知られているため、北東部の料理やイサーン料理を宣伝することは、外国人旅行者を魅了する面白い方法となります。イサーン料理の紹介はタイの観光業においてさらなる利益をもたらすでしょう」と語りました。
より多くの日本人女性にタイに来てもらい、イサーン料理を試してもらうことができれば、イサーン料理を楽しむ人が増え、食料販売業の活性化に繋がる可能性があります。

ワッタナラクル氏は、このような旅行の促進活動をより多く行うことで、タイを訪れる日本人女性を現在よりも30%増加させることができると確信しています。
今年は170万人の日本人観光客を獲得し、662億バーツの収入を得る見込みです。
タイ政府観光局(TAT)は、昨年、同国は、2015年比で4.1%増の163万人の日本人観光客を迎え、6.3%増の614億バーツの総収入を生み出したと語りました。
TATの調査によると、日本人旅行者の間で最も人気の旅行先は、バンコク、チョンブリー、プーケット、チェンマイ、アユタヤです。
コブカンさんは、同省は日本人観光客からも歓迎されている女性、特にタイの自然やおもてなしによって日々のストレスの癒しを求める重役などを惹きつけるため、数多くのキャンペーンを打ち出したと言います。
「日本人女性がもっとタイで過ごしたくなるような、様々なキャンペーンや遊びを組み込んだ、私どものツアーパックがもうすぐ出来上がりますよ!」彼女はそう言いました。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
タイ観光省がより多くの日本人女性を招こうとしています。 へのコメントはまだありません
カテゴリー: Made in JAPAN

フリーランスのWEBデザイナーとして活動していた私が就職したわけ 2017-09-01

私は、もともとフリーランスのWEBデザイナーとして活動していました。

フリーランスのWEBデザイナーというのは、インターネット環境とパソコンがあれば成り立つ仕事です。
それもあり、世界一周といかないまでも英語が通じそうな国へパソコンを持って移動?旅行していました。
そんな中、東南アジア周辺を回っている時に、贅沢さえしなければ安くて過ごせると思ったタイにしばらくいようと思いました。
初めはタイで生活するには十分すぎるほどの収入がありました。(日本でも問題ない程度)
ノマドワークという言葉が流行りだして少し収入が減っても、全然問題なく生活が出来ていました。

そんな折り、いろいろと悩んだ結果、フリーランスを辞めてタイ現地で再就職をしました。

その理由は、時代の進化に伴ってWEBデザイナーという職業がなくなると考えたことによります。現在は、なんでもデジタル化となって、どんなものでもインターネットに繋がる時代となりました。昔より断然とインターネットやWEBの重要性は高まっていると思います。それに伴って、関連業種の需要が高くなるのは必然です。そんな中、日本、アメリカ、イギリスにいる友人やその周りで、WEB制作をメインに行っている小さな会社が軒並み廃業している話を聞き、その要因を知ったことからフリーランスWEBデザイナーと言う仕事がなくなるのではないかと思ったからです。

再就職してから、私の考えがほぼ当たっていたことに驚きました。

今、WEB制作の現場では、変化が起こっています。以前は、デザインはどこどこに外注して、コーディングはどこどこにみたいな感じでも問題ありませんでした。(だから、私は食えていました。)
そこから、ウェブサイトではSEOだけでなく、ソーシャルメディアやオンライン広告などをカバーする必要性が上がってきており、それらをカバーするために制作チームを会社内で立ち上げるようになっています。そうなると、外注する部分が減ってきています。
今、私が働いている会社はそこそこ大規模なので、小さな規模は違うんじゃない?なんて思う人も多いかと思いますが、お客さんによってはワードプレスの有料テンプレート(かなり充実してきました)でまかなえてしまうことが多いらしく、外注することが減っていると言う話をよく聞きました。小規模な会社ではコーディングだけは外注するという話も聞きましたが、自動コーディングツールが以前よりも格段にレベルアップしており、そのうちコーディングの外注すらも無くなるのではないかと思っています。
最後に、フリーランスに限らずWEBデザイナーの存続が危ないと感じることがあります。それはWEBサイトの必要性がなくなってきてるように思います。私が住むタイのレストランや飲食店ではWEBサイトを持っていないことが当たり前のようにあります。その理由としてfacebookの普及が挙げられます。どこのお店も自社のウェブサイトではなく、フェイスブックページをメインにしているところが多い印象を受けます。これは東南アジア地域では、当たり前のようでベトナム人の友人はWEB制作よりもフェイスブックページ制作の方が収入を超えたと言ってましたから。

このような理由から、時代の変革期の今、フリーランスのWEBデザイナーと言う仕事が無くなるのではないかと思い、まだまだ仕事がある若いうちに再就職を決めた次第です。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
フリーランスのWEBデザイナーとして活動していた私が就職したわけ へのコメントはまだありません