タイの芸術・文化・創造

タイで就職したWEBデザイナーの日記

スパイシーなインスタント麺に対するタイの熱狂 2017-07-22

ミッチ・タナラットさん(25)は2013年に初めて日本に留学に行った際、スーツケースにママー インスタント麺を詰めて持って行きました。
 彼女は4年経った今でも、東京に行く際には毎回、有名なタイのヌードルを荷物に詰めるでしょう。日本の即席麺と比べて辛い「ママー」のヌードルが好きなのだそうです。お気に入りの味はイェン・ター・フォー ビーフンとのことです。
 ミッチさんのように海外留学でタイを離れる若い学生は、食べ慣れた物が恋しくなった時のために、インスタント麺を用意して行くようです。他のタイからの海外移住者は、インスタント麺を海外のアジアンストアで買うのだとか。
 「日本で即席麺を買うと高いんです」ミッチさんは言います。ストックが無くなると、彼女は日本に旅行に来る友達に彼女の分を持ってきてもらうよう頼むそうです。
決して大げさではなく、タイ人は地元のインスタント麺を愛しているのです。2013年のアンケートでは、タイ人1人につき1年に平均43パックのインスタント麺を食べていることが分かりました。
「ママー」は主要なブランドで、市場の50%以上を占めています。「ワイワイ」も国内では有名なインスタント麺ブランドです。
そしてグローバル化に伴い、故郷の味を懐かしがる海外移住者のために、今ではママーヌードルのような商品が海外でも手に入るようになっています。
ママーを製造しているタイ・プレジデントフーズ株式会社は、ヌードルを輸出し、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカや、他のアジア地域の小売チェーンを介して流通させています。
2011年にタイで起こった大洪水の際には、新鮮な食べ物を調達出来なくなった集落の空腹を和らげるために、インスタント麺が一役買いました。ママーヌードルの60グラムパックはたった6バーツで販売されているので、非常に求めやすいのです。

麺メーカーが高コストな製造法に切り替えられないよう、政府がヌードルの価格を規制しています。
「他に何なら6バーツで買えるでしょうか。小さいボトル入りの水ですらもっと高いですよ」タイ・プレジデントフーズのチャンポル・テミヤサチット研究開発部長代理は言いました。
ママーヌードルは、行商人やレストランでも料理に使われています。ヤム・ママー(ママーヌードルのサラダ)やパッド・ママー、古き良き焼きママーヌードルなどがあります。
旅行者がこれほど辛いインスタント麺があることを知り、驚くこともしばしばです。
チュラーロンコーン大学の近くにあるレストラン ジェ・オー・チュラーには、イカとエビが山盛りの名物料理、ママー トムヤムシーフードを食べるため、地元の人も旅行者も詰めかけます。
ところが、一日に4,000ミリグラム以上のナトリウムを摂取するタイ人の生活を健康的に改善するため、政府が麺市場に対しても取り組みを講じています。タイ人のナトリウム摂取量は、世界保健機関が推奨する一日に2,000ミリグラムもしくは小さじ一杯未満の量の、2倍以上にあたります。
タイ王国保健省は、ナトリウムの過剰摂取は危険であり、高血圧や糖尿病、心臓病、腎臓病、がんなど多くの病気の原因になると警告しています。
タイ国食品医薬品承認局(FDA)は3月に関連機関と会談し、主に冷凍食品と香辛料の製造におけるナトリウムの使用量を制限することで合意しました。
健康的な選択のための計画の下、インスタント麺50グラム中に1グラムのナトリウムしか使用することが出来なくなりました。60グラムのママーヌードルには1.61グラムのナトリウムが含まれています。タイ・プレジデントフーズのようなメーカーは、この計画と、レシピを変えることによる味の変化で顧客を失うかもしれない恐怖との間で、板挟みになっています。
チャンポル氏は、メーカーがレシピを変える必要に迫られれば、最終的にヌードルの価格は上がるかもしれないと言います。ママーの健康的な商品が市場に登場したとしても、以前の人気は保てず、値段も高くなるかもしれません。
「私たちには2つ考えなければならないことがあります。お客様が求める味を作ることと、価格です」と彼は言いました。
しかし彼は、メーカーはFDAの新規制の下ではどうすることも出来ないと付け加えました。会社では数年前にグルタミン酸使用量を減らしたレシピの開発に着手したものの、後回しになっているそうです。
「市場が健康志向に傾いていくのであれば、私たちも対応していかなければなりません」彼はそう話しました。
ミッチさんのようなヌードル愛好家にとってはタイのインスタント麺はすでに暮らしの一部であり、近い将来その味が無くなるなど信じ難いようです。
「いずれにせよ頻繁に食べず、寒い時や故郷が恋しくなった時にだけ食べます」彼女は言いました。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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