タイの芸術・文化・創造

タイで就職したWEBデザイナーの日記

タイ観光省がより多くの日本人女性を招こうとしています。 2017-09-03

タイに訪れた際、日本人女性は男性と比べて平均5%多くの費用を消費しています。そのため、タイ観光・スポーツ省は、男性よりも多くのお金を消費する日本人女性観光客を呼び込む狙いです。

アサンプション大学が主催した【ビジネスと社会での女性のリーダーシップを強化する】というランチョンセミナーの中で、コブカン・ワッタナラクル観光スポーツ省長は、「日本人女性にとってタイをより魅力的に感じてもらうため、ムエタイ、瞑想、ショッピング、郷土料理や織物、さらには有機園芸などのアクティビティを推進していく」と宣言しました。
「タイ料理はその味と独特のスタイルから既によく知られているため、北東部の料理やイサーン料理を宣伝することは、外国人旅行者を魅了する面白い方法となります。イサーン料理の紹介はタイの観光業においてさらなる利益をもたらすでしょう」と語りました。
より多くの日本人女性にタイに来てもらい、イサーン料理を試してもらうことができれば、イサーン料理を楽しむ人が増え、食料販売業の活性化に繋がる可能性があります。

ワッタナラクル氏は、このような旅行の促進活動をより多く行うことで、タイを訪れる日本人女性を現在よりも30%増加させることができると確信しています。
今年は170万人の日本人観光客を獲得し、662億バーツの収入を得る見込みです。
タイ政府観光局(TAT)は、昨年、同国は、2015年比で4.1%増の163万人の日本人観光客を迎え、6.3%増の614億バーツの総収入を生み出したと語りました。
TATの調査によると、日本人旅行者の間で最も人気の旅行先は、バンコク、チョンブリー、プーケット、チェンマイ、アユタヤです。
コブカンさんは、同省は日本人観光客からも歓迎されている女性、特にタイの自然やおもてなしによって日々のストレスの癒しを求める重役などを惹きつけるため、数多くのキャンペーンを打ち出したと言います。
「日本人女性がもっとタイで過ごしたくなるような、様々なキャンペーンや遊びを組み込んだ、私どものツアーパックがもうすぐ出来上がりますよ!」彼女はそう言いました。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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カテゴリー: Made in JAPAN

買い物客の心に向かう道? 2017-08-30

東南アジアの大勢のファンの心を動かすことを期待して、ソーシャルメディアスターを起用する広告主がいます。

ソーシャルメディアスーパースターとの提携は、東南アジアの広告主の間で人気の戦略であり、情報を投稿する人に商品を提供することで、多くのファンが目にする機会の創出に役立っています。
ソーシャルメディアの「インフルエンサー」(社会に対して強い影響力を持つ人)の一人であるメリッサ・コーは、日本の山形県で過ごした2月の雪の日について、「見て、そこら中に魔法があるわ」と、インスタグラムに投稿しました。写真を共有できるこのサービス内の彼女のアカウントでは、コーの旅行やファッションチョイス、どこへ行き何を買うかの提案の希望などが随時投稿され、22万人以上のフォロワーの関心を集めています。

事実、コーの日本の東北地方への旅行は、東南アジアをターゲットとした宣伝キャンペーンの一環として、全日本空輸(ANA)がスポンサーを務めたものでした。彼女が自身のアカウントで写真や動画を投稿したことで、キャンペーンが届く対象が広がったのです。ANAホールディングズの広告部署の計画に携わった職員によると、この方法は著しい成功を収めたそうです。コーのおかげで乗客数は増えていると、その人は言いました。
 このようにスポンサーとなってインフルエンサーに投稿を依頼することは、多くの会社にとっては新しい戦略ではありません。しかし、東南アジアでは最近採択され始めた方法です。アメリカの広告代理店オグルヴィ&メイザーによると、インフルエンサーによるマーケティングは、今やタイで使われている会社のソーシャルメディア広告の30〜40%を占めており、3年前の15%と比較して増加しています。
 東南アジアでのファッションや旅行雑誌の流通は中国や日本よりも低い一方、スマートフォン所持者の増加がオンラインやソーシャルメディアへのアクセス人口を増やしています。イギリスの広告代理店ウィー・アー・ソーシャルによると、ブルネイ、シンガポール、マレーシア、タイ、そしてフィリピンの人々へのソーシャルメディアの浸透率は50%を超えています。企業はこの傾向が、ショッピングをする時に友人のおすすめを聞きたいという願望と相まって、スポンサー付きコンテンツを東南アジアでの有力な宣伝ツールにしてくれると見込んでいます。

<ライフスタイルブランド>
 ソーシャルメディア・インフルエンサーとそのフォロワーは、共通の好みと価値観で繋がっています。東南アジア諸国連合のライフスタイルの動向を調査している、博報堂生活総合研究所アセアン所長の帆刈 吾郎(ほかり ごろう)によると、広告主が投稿のスポンサーとなるとブランドに関するコンテンツを広告主がコントロールしづらくなる一方で、投稿者のファンに対する影響力と信用性に入り込み、商品やサービスに対する「親しみの感情」を持たせることができるそうです。
 したがって、スポンサー付き投稿は狭い販売対象を正確に狙う方法であり、化粧品やファッション、食品を宣伝するには特に有効な戦略です。例えば、資生堂はスポンサーコンテンツを用いたキャンペーンによって、スキンケア製品ラインの「専科」を、1年強でタイの洗顔料市場の12位から5位に押し上げることができました。フランスの化粧品メーカーのロレアルは、メイクアップのチュートリアルなどのコンテンツで世界中のインフルエンサーと連携し、ロレアルのウェブサイトと、コラボしたインフルエンサーのソーシャルメディアフィードの両方で閲覧できるようにしています。
 インフルエンサーの出来事として宣伝するこの方式に、ファンや業界インサイダーは関心の高まりを露にしています。4月には、地域で最も大きなイベントの一つであるインフルエンス・アジア(アジア最大のソーシャルメディア賞)に約3,000人の観客が参加しました。ソーシャルメディアの投稿がイベントへのアクセス件数を2年前より40%高い6,200万件に押し上げた他、2015年には180人だったインフルエンサーの出席者数が、今年は252人に増えました。シンガポールのDBS銀行の親会社であるDBSグループホールディングズは、ソーシャルメディアスターが金融商品に対する若者の興味を集めてくれると見込み、このようなイベントでインフルエンサーをスカウトしようとしています。

<的確なアドバイス>
 しかし、ソーシャルメディア宣伝において信頼性を保つことは、解決しなければならない課題です。不道徳な企業が、商品の宣伝のために愛用者を装って従業員に投稿させるかもしれません。スポンサーの競合を批判するインフルエンサーが訴訟に巻き込まれることもありました。
 シンガポールは、普段の投稿との区別を明確にするよう、広告主に対して指令を出しています。スポンサー候補から独立していることを強調するアカウントも一定数あります。バンコクの男性が運営する、レストランのレビューやレシピ動画投稿フィードのスターヴィング・タイムは、レストランの宣伝内容と実際の料理のギャップを見せることに特化しています。全ての広告はこのように明確に区別されています。
 このアカウントの正直さと中立性は、130万人のフォロワー獲得に繋がりました。昨年、スターヴィング・タイムは企業として登録され、会社のブランドで約50人の従業員を雇っています。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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タイの地域社会は伝統芸能、食べ物で魅了する 2017-08-11

旅行者のほとんどはバンコクをショッピングの行き先として見ていますが、近隣の地区では、過去を旅しているような保存された芸術や食べ物の文化を体験することができます。
 「微笑みの国」で売っているタイは、アジアの人気旅行スポットの一つです。首都のバンコクは華やかな夜の街や高級ショッピングセンターがあることで知られていますが、それ以外の見どころも沢山あります。
 民主記念塔から徒歩5〜10分の場所にあるナンレンは、1990年代に戻ったような体験ができる、バンコク内の小さな地区です。タイの旅行代理店HiveStersは、国連開発計画とバンコク都庁と提携し、消滅の危機にあるナンレンや他のバンコクの伝統的な5地区の保存に取り組んでいます。

 「現代の若い世代の人々は、私たちの文化をあまり重要だと思っていないからか、あまり文化について気にしていません。彼らが求めているのは、西洋の技術を追いかけることです」と、ツアーガイドのチャクリット・ケントンさんは、タイ国政府観光庁とタイ航空フィリピンがスポンサーを務めるメディアゲストに話しました。
 「この世代がいなくなると、これは私たちの文化から消えてしまいます。保存するための最善の方法は、文化や習慣を次の世代に伝えていくことです。他にできることとしては、旅行者に伝えることです、旅行者は世界にそれを伝えてくれますから。」
 このあたりの目印の一つである、富裕層向けのハイエンドな映画館だったサラ・チャオエム・タニ・シネマも、ナンレンに位置しています。整備資金の不足によって’90年代前半に閉店しました。

<家庭料理、デザート>
 ナンレンの市場は、家庭の料理やタイデザートまで楽しい食の経験を提供しています。お昼時にはいつも人で溢れ返っています。
 ホンおばあちゃんの愛称で呼ばれる90代の女性はこの地区に住み、第二次世界大戦の頃からタイのデザートを作っています。彼女は現代に生きるために、今でも続けています。
 ヤシのケーキや蒸しバナナケーキ、タイタロ芋カスタードケーキなどの美味しいデザートが揃えられています。
 「それぞれのデザートの材料を準備するのには長い時間がかかります。時代を超えて、彼女はこの地区の人々に提供するためにこれを続けているのです。彼女が亡くなると、誰もこれを引き継げなくなります」ケントンさんは言います。
 ホンおばあちゃんが一番忙しいのは朝ですが、この時間帯に訪れた人は彼女がデザートを準備するのを見ることができます。
 ナンレン市場は食愛好家にとって理想郷でもあります。普通の海鮮食材、肉、野菜の他に、他でなかなか見つからない食材もここではいつでも売られています。いくつかの露店も、主にもち米とココナッツミルクで作られたタイ料理とデザートを売っています。小さなレストランやフードコートもあります。
 一部のツアーには、露店や通りでよく売られている、地域で人気のパッドタイや焼きそばの作り方講座も含まれています。

<フォークダンス>
 訪れた人は、今のタイではほとんど行われていない、チャトリという伝統的なフォークダンスを教わることができます。ダンスを学びたい人には、70代のカニャおばさんが教えてくれます。
 「私たちの伝統的なダンスは今や消えかけています。練習するのが大変なので、若い世代の人はやりたがらないのです」と、ケントンさんは言います。
 ダンサーの家庭に生まれたカニャおばさんは、若い頃からチャトリを練習してきました。彼女が住んでいる家は、100年前の彼女の先祖から引き継がれています。
 旅行者は儀式に使われていたパンプァンやタイの高級な香り粉の冠の作り方を教わることもできます。これは、タイのハーブで作られた香りの粉を宝石の粉と混ぜて作られます。
 冠は女性が髪に香りを付けるためのアクセサリーとしても使うことができます。
 「この慣習は、どのようにやるのかを誰も知らないので、消えかけています」ケントンさんは言いました。

<芸術愛好家向け>
 ナンレン外のバンコクの魅力として、芸術を愛する人が絶対に逃してはいけないのが、華やかな内装を持つ新古典主義のルネッサンス様式の建造物、アナンタサマーコム宮殿です。金やその他の高級な材料で作られた洗練された芸術品の数々が、チャクリー王朝を描いた壁画と共に展示されています。
 ラーマ国王の時代である1900年代前期には迎賓館として使われていましたが、現在は美術館となっています。
 館内での写真撮影は禁止されています。さらに厳しいドレスコードが設けられています。ビーチサンダル、ショートパンツ、ダメージジーンズやノースリーブシャツは禁止です。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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刑務所ムエタイを見て 2017-07-16

今年のカンヌ国際映画祭のメインスクリーンで、タイが大きく取り上げられました。映画 ”A Prayer Before Dawn”(直訳:夜明け前の祈り)はタイ映画ではありませんが、このイギリス−フランスの作品はタイが舞台となっています。

>映画の作品紹介ページです。
http://www.imdb.com/title/tt4080956/

正確には収容者が狭い共同部屋に詰め込まれ、生き延びるために戦う、カビ臭く、暴力的なタイの刑務所が舞台です。ジャン=ステファン・ソヴェール監督のこの映画は、ヤーバー(タイの麻薬)販売の罪でクロンプレム刑務所に服役した経験があるウィリアム・ムーア氏の本を基に、ムーア(役:ジョー・コール(英))が刑務所内のムエタイボクシングプログラムを通して釈放されるまでの、生き地獄での過酷な生活の模様を描いた作品です。

報道機関からの肯定的な観衆の中、カンヌでの公式上映は温かく受け入れられた。3人のタイ人俳優—ビタヤ・パンスリンガム(監視員役)、ポンチャノック・マクラン(女装癖のある収容者役)、パニャ・イムンファイ(シェフの収容者役)がレッドカーペットを歩いた。
 私たちはカンヌでのジャン=ステファン・ソヴェール監督(仏)にキャッチアップした。

—どのようにプロジェクトが開始したのですか。
イギリスのプロデューサーが、ボクシング、中毒、刑務所をテーマにしたタイの実話に基づいた脚本について、連絡をくれました。私はそういったものが好きなんです。1994年に、映画製作チームと一緒に休暇中に2か月間タイを旅しました。私はタイで撮影することをずっと夢見ていました。ですから、脚本の初稿を読み、それからウィリアム・ムーアの本も読みました。映画監督として、私は実話にドキュメンタリーとフィクションのスタイルを融合させたいと思っていまして、それが叶ったのがこの作品です。

—既に沢山のボクシング映画と刑務所映画が世に出ていますよね。どのように ”A Prayer Before Dawn” の構想を練ったのですか。
私は刑務所映画やボクシング映画を単にもう1つ増やすことはしたくありませんでした。刑務所でのボクシング戦を出来る限り正確に、写実的にフィルムに収めるため、私は写実的な映画をやることに関心を持っていました。前科者と、プロでない俳優と一緒に作ることで、それが可能になりました。タイの制作サービスチームに連絡した時、彼らは適任の役者を起用して、スタジオに刑務所を建てても良いと言ってくれました。そして、私はこの映画はとにかく写実的に作るに尽きると伝えました。収容者たちの人生について話し、彼らに再度チャンスを与えるために、私は彼らの経験を世間に共有したいのです。

—この映画の中ではタイの良いイメージが描かれていませんが、同時にリアリティを感じます。どのようにしてこの話の繊細なテーマに切り込んでいったのですか。
 フランス人から見ると、タイのイメージはその景色、ビーチ、文化や笑顔など、平凡な体験に基づくものです。しかし、笑顔の裏側こそが本当の人間です。タイ人はとても誠実です。しかし同時に、リアルなタイの文化に入り込むことは難しいです。この映画をやるにあたって私が考えるのは、人は皆自国や自国の人々を尊敬する責任があるということです。たとえ刑務所映画であろうとこれを丁寧且つ誠実な方法で行うただ一つの方法は、タイで時間を過ごし、タイの人々を理解し、彼らにこの話を伝えていってもらうことです。

—監督は多くの本当の受刑者を映画に起用されていますね。キャスティングはどうでしたか。
私たちはキャスティングに約1年をかけましたし、私は毎週前科者に会いました。私は最初に、刑務所で過ごした経験のある有名なボクサーのチャランプロン・サワサック、またの名をMに会いました。彼は数人の友人に私を紹介してくれました。私は彼のフェイスブックの友達を探し…全員前科者ですが…、刑務所にいた他の男たちを起用しました。私は彼らの生活について情報を得るよう努力し、それから私たちは全ての固定観念を避け、脚本を書き直しました。

—撮影許可を取る上で苦労したことはありましたか。
慎重に扱うべきテーマだとは分かっていましたが、初めは実感していませんでした。私たちはタイ映画事務所にどのような映画を作りたいかを説明しました。私は、負の側面ばかりを描いたり、ハリウッド映画のようにさもここが世界最悪の刑務所であるかのように見せたりしたいわけではなく、人情や、タイボクシングの文化を映したいと言いました。単に悪いイメージだけを投影したければ、私はタイには来ません。ベトナムやフィリピンに行きます。しかしそれは私の意図とは違います、と。すると納得してもらえました。

—タイの多くの刑務所について調べたのですか。
ナコーンパトムに新しい刑務所が出来た後に、同県の古い刑務所で撮影しましたよ。更生部門の協力で、タイの別の刑務所にも行きました。私たちはボクシングプログラムを導入している刑務所をいくつか訪れましたが、上手く組織化されていました。映画に実際の監視員を使ったほどです。
本では、ムーアはイスラムに改宗します。映画では、彼は仏教を信仰します。
初稿の脚本にはこのシーンがありました。ところが面白いのは、刑務所で社会性を育むことなのです。刑務所にはボクシングチームがあり、イスラム教徒や仏教徒など様々な囚人がいます。私にとっては、ビリー(ムーア)が仏教を信仰する方が面白いと思えたのです。
私たちは、ビリーが平和を見つけるまでの、ほとんど動物のような無秩序、激怒の状態を生きてゆく様子を描写しました。そして彼を助け、愛を与えたのはイギリスの人でもなく、彼の両親でもなく、刑務所にいたタイの人たちです。この映画は、刑務所が最悪の場所ではなく、彼が彼自身と自由を見つけることが出来た場所であることを見せてくれます。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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どのくらいソンクラーンを愛しているかを言います。 2017-07-03

仕事や交通の危険からの長期間の脱出、全ての曲がり角での冷たくすがすがしい水しぶき、笑顔と幸せの伝播が、一年で一番暑く焼け付くような時期に起こるのです。しかし、それだけがソンクラーンの全てではありません。楽しい水の戦いの地帯の下にあるのは、伝統的で美しいタイの祭りであり、これは全てのソンクラーン参加者が知っておくべきことです。
 タイ・ビバレッジと観光スポーツ省、文化省、タイ王国海軍、タイ国・プーケット・チェンマイ・ウドンターニー政府観光庁、その他の団体の協力により、タイ旧正月の祝賀をコンセプトにした第三回「水祭り2017」が4月13日から16日にかけて開催され、地域の人々や旅行者がタイの伝統的な生活に隠された魔法を体感するために集まりました。

タイの音楽や踊りもあり、美しく飾り付けられた祭りは、タイの4地方全体で開催されたため、全ての旅行者が本物のタイの文化と価値を学び、体験することができました。
この文化的なイベントを逃して、情報から取り残されるのが怖くても、それは心配いりません。

今年のソンクラーンの様子を正確にお伝えします。(そしてあなたは来年のソンクラーンを楽しみにしていてください)
 バンコクでは、よく崇拝に訪れられるお寺であるワット・アルンやワット・フォー、バンコクで最も大きく歴史のあるワット・カラヤナミトルやワット・プラユーンウォンサワットから、アジアティーク・ザ・リバーフロントの桟橋、ヨッピマン・リバーウォークやター・マハラートまで、チャオプラヤー川沿いの7つのエリアで祭りが開催されました。
 イベント参加者に何が用意されていたかですって?ソンクラーン中に私たちが何をするかは知っていますよね。氷水で射程圏内の人を誰でも攻撃するのです、いいですね?はい、でも私たちは祝福と幸運を受けるために、仏様の絵や仏像にも水を注ぎます。これは平和に祝日を祝う方法です。創造的なアートのワークショップもありましたし、タイの4地域のおめでたい食べ物も振る舞われました。川沿いの食べ物市場では、国中の各県で一番の料理が振る舞われました。
 イベントはチェンマイやプーケット、ウドンターニーでも、伝統的なソンクラーンの祝賀とラーンナーの様式の長所を融合させて行われました。
 全体通してこの体験はどうだったか、ですか?本当の平和と幸せの感情に、タイ文化の精神に囲まれ、本物の地域の習慣や伝統に触れ、めいっぱい楽しむことができました。世界に誇るべき美しいタイ文化を広め、伝統的な暮らしを思い出させたイベントは大成功でした。最新のお祭りについて知りたい方は、下のリンクをチェックして、来年のお祭りを楽しみにしていてください。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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