タイの芸術・文化・創造

タイで就職したWEBデザイナーの日記

カリナリーアートを極める② 2017-07-12

マリサ・ウィライロジォラクルさん(18)とご両親の間では、テレビ番組に出ることが交渉の条件になっています。
「私の母は経理の勉強をしてほしいと言っているのですが、私は彼女の気持ちを変えたいんです。もし私がマスターシェフの出演者になることができたら、母は私が料理学校へ進学することに賛成してくれるでしょう。」オーディションで南部の料理であるターメリックのフィッシュフライを作った、パンガー出身のティーンである彼女はそう言いました。
勝者にはマスターシェフの称号に加え、トロフィーと100万バーツ(約330万円)、料理本を出版する権利が与えられます。
製作責任者は、マスターシェフのタイ版を、今では50か国以上に広がったイギリスのオリジナル版と同じような、世界レベルの番組しようとしています。世界的にも有名なタイ料理があることが、この野望を成し遂げる基盤になります。有名な料理文化があるにも関わらずこれまでタイで料理バトルブームが起こらなかったことは不思議なくらいです。
「激しいドラマと闘争が特色のアメリカ版のようにしたり、チーム構成と芸術性を際立たせたオーストラリア版のようにしたりしないのかと聞かれたことがあります。タイ版マスターシェフはこの二つの中間だと言わせてもらいます。」
ヘリコニアHグループは番組の規格を満たすため、スーパーマーケットやレストランを完備した専用スタジオの建設費を含む7千万バーツ(約2億3千万円)を番組制作費として注ぎ込みました。
ル・コルドン・ブルー デュシット校出身の経歴を持つ、女優のピヤシダ・ミッチラロシュが番組司会に抜擢され、ML(モムルワン:下級王族の階級)パルソン・スヴァスティ、ML クワンティップ・ディヴァクラ、ポンタワット・イアン・シャラームキッチチャイ シェフが名誉審査員に就任しました。
オーディション後、コンテスト参加者は料理スキルのテストを受け、マスターシェフキッチンでのより熾烈な戦いに挑む16名が選出されます。


ファイナリスト達は4つのチャレンジを乗り越えなければなりません。ミステリーボックスチャレンジでは用意された食材の組み合わせから一品を用意し、創作料理テストでは別の一品を創作します。そしてアウトドアチャレンジでは大勢の人に料理を振る舞い、プレッシャーテストではスタンダードな料理を厳しい制限時間の中で仕上げなければなりません。
「プロの料理には、家で自分や家族に振る舞う料理よりもはるかに求められるものが多いです。」イアンシェフは言います。「マスターシェフのチャレンジでは参加者に難しい質問をして困らせたり、時間制限のプレッシャーを与えたりします。この試練を受けるだけの創造性と決意を持った才能ある人を、私たちは探しています。また番組でチームワークや企画力、経営力が問われる点も、参加者にとっては短期間の研修のようなトレーニングになります。」
イアンシェフは、参加者がつらい課題を乗り越えられるよう導き、助けになる審査員であることを約束しています。タイ版料理の鉄人のレギュラーシェフの一人でもある彼は、料理番組がどれほど人々を彼と同じようにシェフになりたいと掻き立ててきたかを大切に受け止めています。
「シェフが人気の職業になって以来、さらに多くのタイ人がシェフになりたいと思っているかと思います。しかし、マスターシェフキッチンでの試練は厳しく、恐ろしく忙しいことを心にとめておいてほしいです。しかし、実際のレストランでの仕事はそれよりもさらに大変です。」
本場タイ料理の専門家であるMLクワンティップは、シェフが骨の折れる職業であることを、番組での実演が示していると言います。
彼女は言いました。「シェフは食材の調達や、調理場の安全衛生管理、料理人の監督など、キッチンの全てに責任を持つ、名声のある称号なのです。」
彼女は、YouTubeを見るなど独学で勉強してきた若いアマチュア料理人に番組で出会えることを喜んでいます。タイ版マスターシェフが料理スターを仕込むと同時に、コンテスト参加者もシェフに必要な資質を自分が持っているかどうかを、自分自身で見つけてゆくでしょう。
「もちろん情熱の有無にもよりますが、マスターシェフキッチンで責任と重圧の下に置かれれば、彼らが本当にシェフになりたいのかどうか、自分自身で答えを出すことができるでしょう」と彼女は言いました。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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カリナリーアートを極める① 2017-07-08

人気国際料理コンテストのタイ版で、有望な参加者が審査員の心を打ち、マスターシェフのタイトルを勝ち取る

カリナリーアート
料理芸術。食材選び、メニュープレゼン、仕込み、盛り付け、提供、食卓や空間づくりを統合したもので、日本でいうところの割烹料理に近いです。

テレビで放映される、唐辛子を切る様子、魚を焼く模様、ステーキを煮込む光景…。タイのテレビでは料理番組の数が増えてきており、その美味しそうな光景で人々を魅了しています。料理芸術はタイでは既に有名ですが、今後更なる進化を遂げるのではないかと思われます。
プロのシェフたちが人気番組「タイ版 料理の鉄人(Iron Chef Thailand)」や「タイ版 トップ・シェフ(Top Chef Thailand)」で熱い戦いを繰り広げる中、アマチュア料理人は「マスターシェフ(MasterChef)」のタイ版で、カリナリーの腕を試し始めています。
6月4日より7チャンネルで放送開始したタイ版マスターシェフの初シーズンでは、全2,500人の応募者の中に消防士、占い師、マジシャン、オペラ歌手、さらにはレスラーまで実に様々な職業の料理人がいました。オーディションラウンドでは、希望に満ちた120人の参加者が、3人の審査員の目の前で各々の看板メニューを披露します。2人の審査員の承認を得た参加者が、ファイナル出場を許される、栄誉あるホワイトエプロンを手にすることができるのです。
「料理は私の幸せそのものです。マスターシェフへの参加は私にとって人生の転機になるかもしれない、とても重要なイベントなのです。」楽しげなマンゴーデザートのトリオを用意したパウィーナッチ・ヨドプレチャビジットさん(24)は言いました。
彼女の家族は、彼女が料理の道に進むことに賛成していませんでした。厳しいチャレンジで有名な次のラウンドへの切符を勝ち取るため、優しく繊細な性格の彼女にとっては苦痛でもある、サーモンをさばく試練を乗り越えなければなりませんでした。
パウィーナッチさんは最終的にマスターシェフの選考を勝ち抜き、オーディション合格の通知を受けて喜びの涙を流しました。


グラフィックデザイナーのプーニャネート・タナップラパットさんはホタテガイとフランス産トリュフの一品で審査を勝ち抜き、喜びのあまりホワイトエプロンを振りながら跳び跳ねました。「タイ版マスターシェフが家庭料理の鉄人をお探しなら、私が適任です」と彼女は断言しました。
マジシャンのアピポン・デツファさんは、バターレモンソースで評価を落としたものの、ウェルダンのマトウダイの料理と、はじけた風船から木製スプーンが現れる手品で審査員を感動させました。
コーンケーン出身のガレージオーナーであるソンポン・ジラジットミーチャイさんは、イーサーン地方の郷土料理であるモックヒューアグをオタマジャクシを使って仕上げ、審査員に提供しました。彼女のプレゼンテーションは良いとは言えなかったものの、料理の風味の豊かさが評価され、象徴的なエプロンを獲得することができました。
タイ版マスターシェフと料理の鉄人のプロデューサーを務める、ヘリコニア Hグループ最高責任者キチコーン・ペンロテ氏はこう言いました。「料理が全てではないんです。コンテスト参加者はそれぞれ胸を打つ人生のストーリーを、番組に持って来ます。私たち製作者側では、涙のドラマを作り込む必要なんてないのです。家庭料理人はみなさん同じように情熱を持ち、タイの最初のマスターシェフになりたいと本気で思っているのです。」
まだ数少ない料理コンテスト番組は、歌唱コンテストやクイズ番組、連続ドラマばかりに注目しているタイのプロデューサーには注目されないことが多いです。キチコーン氏は、料理コンテストは視聴者に新たな人生の選択肢を提案できる、素晴らしい番組であると信じています。
彼は5年前に、キッチン・スタジアムでプロのシェフが腕を競う、日本で生まれた料理番組「料理の鉄人」をタイのテレビ向けにリメイクしました。各回、決められた食材を用いたタイムバトルの中で、ゲストのシェフが番組専任の料理の鉄人に挑みます。

タイ版料理の鉄人は放送200回を超え、料理番組ブームの火付け役となったと思われます。製作チームがカリナリーアートに興味を持つ視聴者にとって楽しく、勉強になる番組をつくる方法を身に付けてきたので、キチコーン氏はこのまま番組製作を続けるつもりです。
「タイ版料理の鉄人は、プロのシェフになることに対する興味を掻き立てることができます。」キチコーン氏は言いました。「昔は、親は子供に医者やエンジニア、他の尊敬される職業に就いてほしいと思うものでした。今では子供が他のキャリアパスを歩み、親がそれを支持することに寛容になっています。より多くのタイの料理人を育てることで、タイのカリナリーアートと料理産業の発展に貢献できるでしょう。」
この思いは、カリナリーの腕を証明したいという大勢の若いタイ版マスターシェフ応募者に、また時には彼らの親にも影響しています。

超就職氷河期時代に大学を卒業したので、地元の中小企業の町工場しか就職先がありませんでした。あまり給料が高くない割には重労働だったので、1年働いた頃から夜間はWEBデザインの専門学校へ行き、WEBデザインのイロハを習得。町工場を3年務めた後は、上京して(といっても神奈川県川崎市ですが)今では有名なWEB制作会社に就職しました。始めは学生アルバイトと同じような待遇しかありませんでしたが、徐々に仕事が出来るようになってくると大きなクライアントを担当させてもらえるようになりました。そして海外のクライアント様(タイとシンガポールの日系企業)を担当するようになってから海外に興味が持ち始め英語を習得しました。32歳で退職し、1年間の放浪を経てタイでWEBデザイナーとして就職しました。
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