法律・生活・社会:タイの教育制度を再評価する

近年、タイの教育システムが経済学者の間で取り上げられています。「貧しい学校が政治の不安感の核心にある」というタイトルの記事が2017年1月19日に公表され、最近公開された「OECD生徒の学習到達度調査(Program for International Student Assessment;PISA)」でのタイの国際教育ランキングについて考察しています。タイのスコアは、評価された全70か国中54位に入っています。PISAはタイの15歳の3分の1が、「機能的非識字」(日常生活において読み書き計算を満足に使いこなせない状態)であることを示しました。

OECD生徒の学習到達度調査Wikipediaより引用)
経済協力開発機構(OECD)による国際的な生徒の学習到達度調査のこと。日本では国際学習到達度調査とも言われるが英語の原文は「国際生徒評価のためのプログラム」である。

私はラヨーンの学校で教師をしている友人のエリック・グズマンと話し、国際評価で生徒のスコアが非常に低い原因について、彼の考えを聞くことを決めました。彼は同僚の教師と話し、匿名で貴重な情報を提供してもらいました。
「一人のタイの教師は、タイの教育制度の利点と欠点を認識していると話しました。しかし、タイ新政府によって設けられた年間方針の変化が、先生たちの授業計画の展開を難しくしていると彼は付け加えました。先生たちは新政府の布告が残るのか変わるのか、確信を持てないのです。その他の障害として、新しい政策が打ち出されているにも関わらず、昔の政策が未だ残っていることが、さらなる混乱を生み出していることが挙げられます」と、グズマンさんは言います。
「この問題に関わっているのは、子どもたちを教室の外に連れ出す、祝日や休日のプログラムの増加です。スポーツ週間やスカウト週間、西洋文化週間などの週間イベントや、タイの祝日を祝うプログラムがあります」と彼は付け加えました。
海外の教師の中には、月に複数回あるこのようなプログラムの頻度について質問してくる人もいます。これらのプログラムの間、多くの生徒たちは教室外に連れ出され、授業は実質無くなります。こうしたプログラムは楽しい一方、生徒の学力向上を妨げているのです。
追加された政府のプログラムは、教師たちの仕事量を増やし、時間を奪っています。多くのタイの先生は事務作業によって過度の負担を強いられ、生徒の学習に集中する能力を損なっています。それにも関わらず、学ぶ努力ができない多くの生徒に対処しなければならず、負担が増幅しているのです。

一人のタイの教師は、タイの生徒の間で最も一般的な問題は怠惰であると述べました。彼は、「多くの子どもたち、特に男の子は、ゲームをすることにしか興味がありません。彼らはディスカッションにうんざりしてしまいますし、授業中も最初の数分しか集中することができません。」と言います。
「私の教師としての経験は長くはありませんが、私は同意します。ほとんどの生徒は勉強に対するやる気や動機を失うと、怠惰になってしまいます。絶えず生徒を楽しませ、教育するのが先生の役割です。私には、生徒の学びに対する意欲を絶やさないため、年間通して常に新しい活動プランを実行することが求められています。この仕事は簡単ではありませんし、時間外労働はひどく疲れます。棒暗記をするような昔のタイの教育方法に戻してしまった何人かの教師の方にも共感します。」
「先生たちにとって大きな障害の一つは、タイの『落第しない』方針です。先生はたとえ生徒が授業に来なくても、生徒が合格できるよう最低限の点数をあげなければいけません。多くの生徒は、教室での彼らのパフォーマンスに関わらず、年度末には必ず次の学年に進級できると知っているのです。」
「私はこの仕事が好きですし、生徒と一緒にいることも好きです。しかし、政府の布告を減らして地方の学校に自由を与えるために、タイの教育制度は変わるべきです。官僚政治によって教師に過度の負担を感じさせ、無関心な生徒の進級を許す現在の制度の中では、多くの若い教師の心の情熱は急速に消えてしまいます」と、グズマンさんは言います。

タイのグァバに囲まれた甘い生活

ラルモニルハット県 カリガンジ郡 ウパジラ村出身のモミヌル・イスラムさん(32)は、彼の平穏な果樹園の静けさの中、自身の人生について省みます。「私は、就くのが難しい政府の仕事を探すことに、貴重な時間を割くことはしてきませんでした。私は自分の時間を有効に使ってきました。私が父から教わった、フルーツ栽培を実現したのです。」モミヌルさんが満足していることには根拠があります。彼のタイ グァバの甘さが証明しているように、ご近所で有名な有機農業にこだわる農家である彼は、この素敵な生活を楽しんでいます。

彼は言います。「年間300万タカ(約418万円)の純利益が得られるので、私は公務員よりも良い生活をしていますよ。」
モミヌルさんは、2005年に芸術科の学士号を取って地方の大学を卒業しました。モミヌルさん一家はわずかな土地しか持っていませんでしたが、彼は果物栽培にその身を捧げることを決心し、年間1ビガ(0.13〜0.40ヘクタール)につき米12マウンド(444 kg)の価格で、26ビガの土地を借りました。当初は、イチゴなど様々な果物を栽培していました。借りた土地に4,200本の木からなるタイ グァバの果樹園を作り、彼の’ラ・ドルチェ・ヴィータ’(=甘い生活)を歩む道を見つけたのは、4年前のことでした。
「グァバは夏と冬の年2回、実を付けます。」彼は言いました。「1シーズンにつき、1つの木から最大35キロのフルーツがなるので、年間の売上はおよそ600万タカ(約836万円)にも上ります。さらに果樹園に隣接している3ビガの園芸店でグァバの種を売り、70万タカ(約98万円)の収益を得ています。」収穫した果物を売ることには困りません。首都ダッカからも商人が買い付けに来ます、と彼は付け加えました。

モミヌルさんは果樹園の手入れのために、年間150万タカ(約209万円)を費やして20人の正規労働者を雇っています。さらに有機肥料の製造に60万タカ(約84万円)を、土地借用に30万タカ(約42万円)を投資しています。
「私たちはいつもモミヌルさんの果樹園で有機肥料の製造やグァバの木の世話に追われています。」労働者の1人である、アブダス・サラムさん(42)は言います。「彼のグァバ園は、年中私たちに仕事を与えてくれます。」
「私は果樹園に化学肥料や農薬を使ったことは一切ありません。」モミヌルさんは説明しました。「そういった製品は土地の肥沃を損ない、最終的には収量を減らしてしまうと私は知っています。それらの代わりに、私は実ったフルーツを袋で覆い、害虫やその他の生き物から守っています。」
多くの地元の人たちが、モミヌルさんの成功の秘訣を探るために、彼の果樹園を訪れています。「モミヌルさんはグァバの育て方について役に立つアドバイスをくれます」と、近隣農家のマフラム・チャンドラ・ダスさん(52)は言います。
もっともなことですが、モミヌルさんの家族は彼の成果を誇りに思っています。「私の息子はこの地区で一番の農場経営者です」と、彼の父であるモミヌル・ハークさんは言います。「彼は土壌を理解しています。彼は学生時代の農業の経験から多くを学んでいます。私も息子の成功に感化され、6エーカー(2.43ヘクタール)の土地で野菜と平行して果物を栽培しています。」

100円ショップ キャンドゥがタイへの拡大に大きな可能性を見出す

タイでの予期しないほどの大きな要求により波に乗っている日本の100円ショップの会社「キャンドゥ」は、2020年までに店舗数を現在の7店舗から100店舗ほどまでに積極的に拡大する狙いです。
キャンドゥはタイでの操業開始からたったの2年で、東南アジア市場において大成功を収めるために着々と発展しており、今年も100円ショップの売り上げを5〜10%伸ばせると予想していると、タイで唯一のキャンドゥフランチャイズ加盟店であるイーストコーストファーニテック社のアラク・サクサワット経営取締役は言います。
「フランチャイズ経営の準備が出来れば、目標達成のためにキャンドゥショップを劇的に増やせるでしょう。」
ECF社は、フランチャイズ経営のモデルを構築するため、近々主要店舗を開店する準備をしています。同社は目標である100店舗のキャンドゥショップのうち多くとも40店舗を所有し、残りはフランチャイズ加盟店として開店すると思われます。
「タイの市場は比較的独立しており、急成長しています」とアラク氏は言います。「人口増加と経済発展により、ブランドや店舗の数が急速に増えています。」
 12億〜13億バーツ(3千5百万〜3千8百万ドル)規模のタイの「1ドルショップ」市場は、10年以上市場に参入しており、全世界で80店舗を持つ日本の大創産業によって支配されています。
「タイでは早いサービスと、モダンなデザインを持つユニークな商品が好まれるので、常に多様な製品を扱っている日本の100円ショップはタイ消費者のライフスタイルに良く合うのです」とアラク氏は言いました。
彼は、ECF社はオンライン販売プラットフォームを通じてブランド認知度を上げつつ、今年中に人口密度の高い地区に5店舗を開店すると言いました。

>日系百円均一のキャンドゥさんのホームページです。
http://www.cando-web.co.jp/

キャンドゥショップは、商品の90%を占める日本からの輸入品ラインナップと、10%を占める地元製の家庭用品を含む計6,000〜7,000種類の商品を、各60バーツ(1.7ドル)均一で販売しています。
日本製品の中で最も売れているのは、典型的なタイのお店では購入出来ない、リンゴの芯抜き器と皮むき器です。

スパイシーなインスタント麺に対するタイの熱狂

ミッチ・タナラットさん(25)は2013年に初めて日本に留学に行った際、スーツケースにママー インスタント麺を詰めて持って行きました。
 彼女は4年経った今でも、東京に行く際には毎回、有名なタイのヌードルを荷物に詰めるでしょう。日本の即席麺と比べて辛い「ママー」のヌードルが好きなのだそうです。お気に入りの味はイェン・ター・フォー ビーフンとのことです。
 ミッチさんのように海外留学でタイを離れる若い学生は、食べ慣れた物が恋しくなった時のために、インスタント麺を用意して行くようです。他のタイからの海外移住者は、インスタント麺を海外のアジアンストアで買うのだとか。
 「日本で即席麺を買うと高いんです」ミッチさんは言います。ストックが無くなると、彼女は日本に旅行に来る友達に彼女の分を持ってきてもらうよう頼むそうです。
決して大げさではなく、タイ人は地元のインスタント麺を愛しているのです。2013年のアンケートでは、タイ人1人につき1年に平均43パックのインスタント麺を食べていることが分かりました。
「ママー」は主要なブランドで、市場の50%以上を占めています。「ワイワイ」も国内では有名なインスタント麺ブランドです。
そしてグローバル化に伴い、故郷の味を懐かしがる海外移住者のために、今ではママーヌードルのような商品が海外でも手に入るようになっています。
ママーを製造しているタイ・プレジデントフーズ株式会社は、ヌードルを輸出し、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカや、他のアジア地域の小売チェーンを介して流通させています。
2011年にタイで起こった大洪水の際には、新鮮な食べ物を調達出来なくなった集落の空腹を和らげるために、インスタント麺が一役買いました。ママーヌードルの60グラムパックはたった6バーツで販売されているので、非常に求めやすいのです。

麺メーカーが高コストな製造法に切り替えられないよう、政府がヌードルの価格を規制しています。
「他に何なら6バーツで買えるでしょうか。小さいボトル入りの水ですらもっと高いですよ」タイ・プレジデントフーズのチャンポル・テミヤサチット研究開発部長代理は言いました。
ママーヌードルは、行商人やレストランでも料理に使われています。ヤム・ママー(ママーヌードルのサラダ)やパッド・ママー、古き良き焼きママーヌードルなどがあります。
旅行者がこれほど辛いインスタント麺があることを知り、驚くこともしばしばです。
チュラーロンコーン大学の近くにあるレストラン ジェ・オー・チュラーには、イカとエビが山盛りの名物料理、ママー トムヤムシーフードを食べるため、地元の人も旅行者も詰めかけます。
ところが、一日に4,000ミリグラム以上のナトリウムを摂取するタイ人の生活を健康的に改善するため、政府が麺市場に対しても取り組みを講じています。タイ人のナトリウム摂取量は、世界保健機関が推奨する一日に2,000ミリグラムもしくは小さじ一杯未満の量の、2倍以上にあたります。
タイ王国保健省は、ナトリウムの過剰摂取は危険であり、高血圧や糖尿病、心臓病、腎臓病、がんなど多くの病気の原因になると警告しています。
タイ国食品医薬品承認局(FDA)は3月に関連機関と会談し、主に冷凍食品と香辛料の製造におけるナトリウムの使用量を制限することで合意しました。
健康的な選択のための計画の下、インスタント麺50グラム中に1グラムのナトリウムしか使用することが出来なくなりました。60グラムのママーヌードルには1.61グラムのナトリウムが含まれています。タイ・プレジデントフーズのようなメーカーは、この計画と、レシピを変えることによる味の変化で顧客を失うかもしれない恐怖との間で、板挟みになっています。
チャンポル氏は、メーカーがレシピを変える必要に迫られれば、最終的にヌードルの価格は上がるかもしれないと言います。ママーの健康的な商品が市場に登場したとしても、以前の人気は保てず、値段も高くなるかもしれません。
「私たちには2つ考えなければならないことがあります。お客様が求める味を作ることと、価格です」と彼は言いました。
しかし彼は、メーカーはFDAの新規制の下ではどうすることも出来ないと付け加えました。会社では数年前にグルタミン酸使用量を減らしたレシピの開発に着手したものの、後回しになっているそうです。
「市場が健康志向に傾いていくのであれば、私たちも対応していかなければなりません」彼はそう話しました。
ミッチさんのようなヌードル愛好家にとってはタイのインスタント麺はすでに暮らしの一部であり、近い将来その味が無くなるなど信じ難いようです。
「いずれにせよ頻繁に食べず、寒い時や故郷が恋しくなった時にだけ食べます」彼女は言いました。

古代の軌跡を辿る

タイの科学者による先史時代の化石の復元イメージが、東南アジア及び世界での人類の発展を辿る上での明るい兆しを見せる

 タイのメーホンソーンで見つかった石器時代の遺体の化石を基に描かれた女性の画像が論文上で公表されて以来、タイは考古学の国際的なコミュニティの中心となっています。
 13,000年以上も昔の人と思われるその女性は、探検中に見つかった4人分の白骨死体のうちの一つであり、他の3つとは何千年も年齢が違いました。女性の画像は現代タイ人との大きな類似点を持っており、先史時代のタイや東南アジアの人類の生活の発達について重大な疑問を浮かび上がらせています。
 ケンブリッジ大学の学術誌「Antiquity(古代)」に掲載された論文「タイ タームロッドの洪積世後期の女性:現代の顔つきに対する古代からの影響」は、科学者カノックナート・チンタカノン、サンジャイ・サンヴィチェン、ナッタモン・プリーパッポン、スーザン・ヘイズ、ラスミ・シューコンデジュたちによって書かれました。
 現代のテクノロジーではタームロッドの女性を平面画像に表すことしかできませんが、近い将来、DNA技術の発達によって、古代人類について体の構造などさらに詳細を特定することができるようになると、ラスミさんは信じています。
 「ヨーロッパでは実際に、DNAを用いて肌や目の色など様々な身体的特徴を特定し、保存状態の良い人類の化石から全身のシミュレーションを行うことが出来るようになっています。遺体が埋葬されている土壌からDNAを抽出する技術が出てくるという話すらあります」2002年に探検隊を化石の発掘に導いた、シルカポーン大学の考古学教授ラスミさんは言います。

 「タイや東南アジア全体では、このテクノロジーは比較的新しく、この古さの先史時代の人類の顏をシミュレーション出来たのは初めてでした。フローレス原人がインドネシアで見つかった際の4月のシミュレーション以来、この地域で同様の方法で先史時代の人類の顏つきのシミュレーションを行ったのは、私たちで2番目です。タイ人の祖先がどのような顔つきをしていたかについて一般的な見解を得たのは私たちが初めてです。」
 タームロッドの女性の顏つきのシミュレーションは、オーストラリアのウーロンゴン大学のスーザン・ヘイズ教授との共同研究により、化石片のCTスキャンを基に復元したレジン製の頭蓋骨模型と、世界中の膨大な人数の現代人の頭蓋骨や顔の構造、筋肉や肌の計測結果を比較して行われました。研究者たちは、タームロッドの頭蓋骨は構造上現代人のものと似ていたため、女性の頭蓋骨の計測によって、現代人の顏の構造に基づいて女性の顏を復元することが出来たと考えています。
 ラスミさんによると、タームロッドの女性の顏の復元は、いくつかの理由がありとても重要な意味を持つとのことです。この復元により、タイ人がどこから来て、どのように現在の姿になったのかを説明することが出来ます。タイ先史時代の人類の暮らしについての具体的な証拠は、地方と世界の古代の歴史についてより多くの疑問に答える材料となるでしょう。
 「最近の考古学の見識では、タイで見つかった化石の子孫が最終的にタイに定住したのか、それとも別の場所への移動途中にタイに立ち寄ったのかを明確にする証拠はありませんが、彼らは中国やインドネシアから移住してきたホモ・エレクタスであるという説を支持する証拠はあります」ラスミ教授は言います。
 しかし、タームロッドで見つかった様々な時代の人類の化石からの身体の研究とシミュレーション作成を続けることで、洪積世や氷河期以降の人類のタイへの定住または居住についての特定に役立つ、この地方での先史時代の人類の発達過程について一般的な見解を得ることができると、ラスミさんは考えています。
 「タームロッド地方では、それぞれ13,000年前、12,000年前、9,000年前、2,000年前の4人の化石を発見しました」と教授は説明しました。

 「もし私たちがこれらの化石からより多くの身体構造シミュレーションを行うことが出来れば、私たちは13,000年前の人類が他の時代の人類と身体的に似ているかどうかを特定することが出来るようになるでしょう。もし似ていれば、それらは先祖子孫の関係にある可能性があり、現在の全てのタイ人の祖先でもあるかもしれません。しかし、もしそれらの外見が大きく異なれば、それは現代タイ人の祖先ではなく、年を取って偶然この地で死んだ、あるいは埋葬されたものであると思われます。」

 タイでは先史時代の人類の痕跡が、それぞれ中国南部と北インドネシアに近い、北から南の地域にかけて発見されています。中国では1920年代以降に何百個もの500,000年前のホモ・エレクタスの化石が発掘されており、インドネシアでは19世紀に700,000年前のホモ・エレクタスの化石が見つかっています。
 化石から得た証拠によって、科学者たちは古代人類がこれらの国を移って行った模様を説明することが出来るようになりました。先史時代の人類の祖先が、定期的な移住を終え定住した場所がタイであると考えるのが安全ではありますが、そのように主張できる証拠はほとんどありません。
 「アジアでの先史時代の人間のストーリーの全容が明らかになれば、私たちは古代中国やインドネシアの人類について広い見解を得ることが出来ますが、タイの化石についてはほとんど分からないでしょう。中国で見つかったものに類似したこのホモ・エレクタスの化石は、何百年、何千年も前にはタイに人類がいたことを示していますが、中国から移住してきた証拠についてはほとんどありません。」
 「もしタイ各地からさらなる古代人類の化石が見つけることが出来れば、東南アジアの人類の進化の歴史的ストーリーや、さらには世界の先史時代の人類についての知見について、足りないパーツを埋めることができるかもしれません。」

刑務所ムエタイを見て

今年のカンヌ国際映画祭のメインスクリーンで、タイが大きく取り上げられました。映画 ”A Prayer Before Dawn”(直訳:夜明け前の祈り)はタイ映画ではありませんが、このイギリス−フランスの作品はタイが舞台となっています。

>映画の作品紹介ページです。
http://www.imdb.com/title/tt4080956/

正確には収容者が狭い共同部屋に詰め込まれ、生き延びるために戦う、カビ臭く、暴力的なタイの刑務所が舞台です。ジャン=ステファン・ソヴェール監督のこの映画は、ヤーバー(タイの麻薬)販売の罪でクロンプレム刑務所に服役した経験があるウィリアム・ムーア氏の本を基に、ムーア(役:ジョー・コール(英))が刑務所内のムエタイボクシングプログラムを通して釈放されるまでの、生き地獄での過酷な生活の模様を描いた作品です。

報道機関からの肯定的な観衆の中、カンヌでの公式上映は温かく受け入れられた。3人のタイ人俳優—ビタヤ・パンスリンガム(監視員役)、ポンチャノック・マクラン(女装癖のある収容者役)、パニャ・イムンファイ(シェフの収容者役)がレッドカーペットを歩いた。
 私たちはカンヌでのジャン=ステファン・ソヴェール監督(仏)にキャッチアップした。

—どのようにプロジェクトが開始したのですか。
イギリスのプロデューサーが、ボクシング、中毒、刑務所をテーマにしたタイの実話に基づいた脚本について、連絡をくれました。私はそういったものが好きなんです。1994年に、映画製作チームと一緒に休暇中に2か月間タイを旅しました。私はタイで撮影することをずっと夢見ていました。ですから、脚本の初稿を読み、それからウィリアム・ムーアの本も読みました。映画監督として、私は実話にドキュメンタリーとフィクションのスタイルを融合させたいと思っていまして、それが叶ったのがこの作品です。

—既に沢山のボクシング映画と刑務所映画が世に出ていますよね。どのように ”A Prayer Before Dawn” の構想を練ったのですか。
私は刑務所映画やボクシング映画を単にもう1つ増やすことはしたくありませんでした。刑務所でのボクシング戦を出来る限り正確に、写実的にフィルムに収めるため、私は写実的な映画をやることに関心を持っていました。前科者と、プロでない俳優と一緒に作ることで、それが可能になりました。タイの制作サービスチームに連絡した時、彼らは適任の役者を起用して、スタジオに刑務所を建てても良いと言ってくれました。そして、私はこの映画はとにかく写実的に作るに尽きると伝えました。収容者たちの人生について話し、彼らに再度チャンスを与えるために、私は彼らの経験を世間に共有したいのです。

—この映画の中ではタイの良いイメージが描かれていませんが、同時にリアリティを感じます。どのようにしてこの話の繊細なテーマに切り込んでいったのですか。
 フランス人から見ると、タイのイメージはその景色、ビーチ、文化や笑顔など、平凡な体験に基づくものです。しかし、笑顔の裏側こそが本当の人間です。タイ人はとても誠実です。しかし同時に、リアルなタイの文化に入り込むことは難しいです。この映画をやるにあたって私が考えるのは、人は皆自国や自国の人々を尊敬する責任があるということです。たとえ刑務所映画であろうとこれを丁寧且つ誠実な方法で行うただ一つの方法は、タイで時間を過ごし、タイの人々を理解し、彼らにこの話を伝えていってもらうことです。

—監督は多くの本当の受刑者を映画に起用されていますね。キャスティングはどうでしたか。
私たちはキャスティングに約1年をかけましたし、私は毎週前科者に会いました。私は最初に、刑務所で過ごした経験のある有名なボクサーのチャランプロン・サワサック、またの名をMに会いました。彼は数人の友人に私を紹介してくれました。私は彼のフェイスブックの友達を探し…全員前科者ですが…、刑務所にいた他の男たちを起用しました。私は彼らの生活について情報を得るよう努力し、それから私たちは全ての固定観念を避け、脚本を書き直しました。

—撮影許可を取る上で苦労したことはありましたか。
慎重に扱うべきテーマだとは分かっていましたが、初めは実感していませんでした。私たちはタイ映画事務所にどのような映画を作りたいかを説明しました。私は、負の側面ばかりを描いたり、ハリウッド映画のようにさもここが世界最悪の刑務所であるかのように見せたりしたいわけではなく、人情や、タイボクシングの文化を映したいと言いました。単に悪いイメージだけを投影したければ、私はタイには来ません。ベトナムやフィリピンに行きます。しかしそれは私の意図とは違います、と。すると納得してもらえました。

—タイの多くの刑務所について調べたのですか。
ナコーンパトムに新しい刑務所が出来た後に、同県の古い刑務所で撮影しましたよ。更生部門の協力で、タイの別の刑務所にも行きました。私たちはボクシングプログラムを導入している刑務所をいくつか訪れましたが、上手く組織化されていました。映画に実際の監視員を使ったほどです。
本では、ムーアはイスラムに改宗します。映画では、彼は仏教を信仰します。
初稿の脚本にはこのシーンがありました。ところが面白いのは、刑務所で社会性を育むことなのです。刑務所にはボクシングチームがあり、イスラム教徒や仏教徒など様々な囚人がいます。私にとっては、ビリー(ムーア)が仏教を信仰する方が面白いと思えたのです。
私たちは、ビリーが平和を見つけるまでの、ほとんど動物のような無秩序、激怒の状態を生きてゆく様子を描写しました。そして彼を助け、愛を与えたのはイギリスの人でもなく、彼の両親でもなく、刑務所にいたタイの人たちです。この映画は、刑務所が最悪の場所ではなく、彼が彼自身と自由を見つけることが出来た場所であることを見せてくれます。

カリナリーアートを極める②

マリサ・ウィライロジォラクルさん(18)とご両親の間では、テレビ番組に出ることが交渉の条件になっています。
「私の母は経理の勉強をしてほしいと言っているのですが、私は彼女の気持ちを変えたいんです。もし私がマスターシェフの出演者になることができたら、母は私が料理学校へ進学することに賛成してくれるでしょう。」オーディションで南部の料理であるターメリックのフィッシュフライを作った、パンガー出身のティーンである彼女はそう言いました。
勝者にはマスターシェフの称号に加え、トロフィーと100万バーツ(約330万円)、料理本を出版する権利が与えられます。
製作責任者は、マスターシェフのタイ版を、今では50か国以上に広がったイギリスのオリジナル版と同じような、世界レベルの番組しようとしています。世界的にも有名なタイ料理があることが、この野望を成し遂げる基盤になります。有名な料理文化があるにも関わらずこれまでタイで料理バトルブームが起こらなかったことは不思議なくらいです。
「激しいドラマと闘争が特色のアメリカ版のようにしたり、チーム構成と芸術性を際立たせたオーストラリア版のようにしたりしないのかと聞かれたことがあります。タイ版マスターシェフはこの二つの中間だと言わせてもらいます。」
ヘリコニアHグループは番組の規格を満たすため、スーパーマーケットやレストランを完備した専用スタジオの建設費を含む7千万バーツ(約2億3千万円)を番組制作費として注ぎ込みました。
ル・コルドン・ブルー デュシット校出身の経歴を持つ、女優のピヤシダ・ミッチラロシュが番組司会に抜擢され、ML(モムルワン:下級王族の階級)パルソン・スヴァスティ、ML クワンティップ・ディヴァクラ、ポンタワット・イアン・シャラームキッチチャイ シェフが名誉審査員に就任しました。
オーディション後、コンテスト参加者は料理スキルのテストを受け、マスターシェフキッチンでのより熾烈な戦いに挑む16名が選出されます。

ファイナリスト達は4つのチャレンジを乗り越えなければなりません。ミステリーボックスチャレンジでは用意された食材の組み合わせから一品を用意し、創作料理テストでは別の一品を創作します。そしてアウトドアチャレンジでは大勢の人に料理を振る舞い、プレッシャーテストではスタンダードな料理を厳しい制限時間の中で仕上げなければなりません。
「プロの料理には、家で自分や家族に振る舞う料理よりもはるかに求められるものが多いです。」イアンシェフは言います。「マスターシェフのチャレンジでは参加者に難しい質問をして困らせたり、時間制限のプレッシャーを与えたりします。この試練を受けるだけの創造性と決意を持った才能ある人を、私たちは探しています。また番組でチームワークや企画力、経営力が問われる点も、参加者にとっては短期間の研修のようなトレーニングになります。」
イアンシェフは、参加者がつらい課題を乗り越えられるよう導き、助けになる審査員であることを約束しています。タイ版料理の鉄人のレギュラーシェフの一人でもある彼は、料理番組がどれほど人々を彼と同じようにシェフになりたいと掻き立ててきたかを大切に受け止めています。
「シェフが人気の職業になって以来、さらに多くのタイ人がシェフになりたいと思っているかと思います。しかし、マスターシェフキッチンでの試練は厳しく、恐ろしく忙しいことを心にとめておいてほしいです。しかし、実際のレストランでの仕事はそれよりもさらに大変です。」
本場タイ料理の専門家であるMLクワンティップは、シェフが骨の折れる職業であることを、番組での実演が示していると言います。
彼女は言いました。「シェフは食材の調達や、調理場の安全衛生管理、料理人の監督など、キッチンの全てに責任を持つ、名声のある称号なのです。」
彼女は、YouTubeを見るなど独学で勉強してきた若いアマチュア料理人に番組で出会えることを喜んでいます。タイ版マスターシェフが料理スターを仕込むと同時に、コンテスト参加者もシェフに必要な資質を自分が持っているかどうかを、自分自身で見つけてゆくでしょう。
「もちろん情熱の有無にもよりますが、マスターシェフキッチンで責任と重圧の下に置かれれば、彼らが本当にシェフになりたいのかどうか、自分自身で答えを出すことができるでしょう」と彼女は言いました。

カリナリーアートを極める①

人気国際料理コンテストのタイ版で、有望な参加者が審査員の心を打ち、マスターシェフのタイトルを勝ち取る

カリナリーアート
料理芸術。食材選び、メニュープレゼン、仕込み、盛り付け、提供、食卓や空間づくりを統合したもので、日本でいうところの割烹料理に近いです。

テレビで放映される、唐辛子を切る様子、魚を焼く模様、ステーキを煮込む光景…。タイのテレビでは料理番組の数が増えてきており、その美味しそうな光景で人々を魅了しています。料理芸術はタイでは既に有名ですが、今後更なる進化を遂げるのではないかと思われます。
プロのシェフたちが人気番組「タイ版 料理の鉄人(Iron Chef Thailand)」や「タイ版 トップ・シェフ(Top Chef Thailand)」で熱い戦いを繰り広げる中、アマチュア料理人は「マスターシェフ(MasterChef)」のタイ版で、カリナリーの腕を試し始めています。
6月4日より7チャンネルで放送開始したタイ版マスターシェフの初シーズンでは、全2,500人の応募者の中に消防士、占い師、マジシャン、オペラ歌手、さらにはレスラーまで実に様々な職業の料理人がいました。オーディションラウンドでは、希望に満ちた120人の参加者が、3人の審査員の目の前で各々の看板メニューを披露します。2人の審査員の承認を得た参加者が、ファイナル出場を許される、栄誉あるホワイトエプロンを手にすることができるのです。
「料理は私の幸せそのものです。マスターシェフへの参加は私にとって人生の転機になるかもしれない、とても重要なイベントなのです。」楽しげなマンゴーデザートのトリオを用意したパウィーナッチ・ヨドプレチャビジットさん(24)は言いました。
彼女の家族は、彼女が料理の道に進むことに賛成していませんでした。厳しいチャレンジで有名な次のラウンドへの切符を勝ち取るため、優しく繊細な性格の彼女にとっては苦痛でもある、サーモンをさばく試練を乗り越えなければなりませんでした。
パウィーナッチさんは最終的にマスターシェフの選考を勝ち抜き、オーディション合格の通知を受けて喜びの涙を流しました。

グラフィックデザイナーのプーニャネート・タナップラパットさんはホタテガイとフランス産トリュフの一品で審査を勝ち抜き、喜びのあまりホワイトエプロンを振りながら跳び跳ねました。「タイ版マスターシェフが家庭料理の鉄人をお探しなら、私が適任です」と彼女は断言しました。
マジシャンのアピポン・デツファさんは、バターレモンソースで評価を落としたものの、ウェルダンのマトウダイの料理と、はじけた風船から木製スプーンが現れる手品で審査員を感動させました。
コーンケーン出身のガレージオーナーであるソンポン・ジラジットミーチャイさんは、イーサーン地方の郷土料理であるモックヒューアグをオタマジャクシを使って仕上げ、審査員に提供しました。彼女のプレゼンテーションは良いとは言えなかったものの、料理の風味の豊かさが評価され、象徴的なエプロンを獲得することができました。
タイ版マスターシェフと料理の鉄人のプロデューサーを務める、ヘリコニア Hグループ最高責任者キチコーン・ペンロテ氏はこう言いました。「料理が全てではないんです。コンテスト参加者はそれぞれ胸を打つ人生のストーリーを、番組に持って来ます。私たち製作者側では、涙のドラマを作り込む必要なんてないのです。家庭料理人はみなさん同じように情熱を持ち、タイの最初のマスターシェフになりたいと本気で思っているのです。」
まだ数少ない料理コンテスト番組は、歌唱コンテストやクイズ番組、連続ドラマばかりに注目しているタイのプロデューサーには注目されないことが多いです。キチコーン氏は、料理コンテストは視聴者に新たな人生の選択肢を提案できる、素晴らしい番組であると信じています。
彼は5年前に、キッチン・スタジアムでプロのシェフが腕を競う、日本で生まれた料理番組「料理の鉄人」をタイのテレビ向けにリメイクしました。各回、決められた食材を用いたタイムバトルの中で、ゲストのシェフが番組専任の料理の鉄人に挑みます。

タイ版料理の鉄人は放送200回を超え、料理番組ブームの火付け役となったと思われます。製作チームがカリナリーアートに興味を持つ視聴者にとって楽しく、勉強になる番組をつくる方法を身に付けてきたので、キチコーン氏はこのまま番組製作を続けるつもりです。
「タイ版料理の鉄人は、プロのシェフになることに対する興味を掻き立てることができます。」キチコーン氏は言いました。「昔は、親は子供に医者やエンジニア、他の尊敬される職業に就いてほしいと思うものでした。今では子供が他のキャリアパスを歩み、親がそれを支持することに寛容になっています。より多くのタイの料理人を育てることで、タイのカリナリーアートと料理産業の発展に貢献できるでしょう。」
この思いは、カリナリーの腕を証明したいという大勢の若いタイ版マスターシェフ応募者に、また時には彼らの親にも影響しています。

どのくらいソンクラーンを愛しているかを言います。

仕事や交通の危険からの長期間の脱出、全ての曲がり角での冷たくすがすがしい水しぶき、笑顔と幸せの伝播が、一年で一番暑く焼け付くような時期に起こるのです。しかし、それだけがソンクラーンの全てではありません。楽しい水の戦いの地帯の下にあるのは、伝統的で美しいタイの祭りであり、これは全てのソンクラーン参加者が知っておくべきことです。
 タイ・ビバレッジと観光スポーツ省、文化省、タイ王国海軍、タイ国・プーケット・チェンマイ・ウドンターニー政府観光庁、その他の団体の協力により、タイ旧正月の祝賀をコンセプトにした第三回「水祭り2017」が4月13日から16日にかけて開催され、地域の人々や旅行者がタイの伝統的な生活に隠された魔法を体感するために集まりました。

タイの音楽や踊りもあり、美しく飾り付けられた祭りは、タイの4地方全体で開催されたため、全ての旅行者が本物のタイの文化と価値を学び、体験することができました。
この文化的なイベントを逃して、情報から取り残されるのが怖くても、それは心配いりません。

今年のソンクラーンの様子を正確にお伝えします。(そしてあなたは来年のソンクラーンを楽しみにしていてください)
 バンコクでは、よく崇拝に訪れられるお寺であるワット・アルンやワット・フォー、バンコクで最も大きく歴史のあるワット・カラヤナミトルやワット・プラユーンウォンサワットから、アジアティーク・ザ・リバーフロントの桟橋、ヨッピマン・リバーウォークやター・マハラートまで、チャオプラヤー川沿いの7つのエリアで祭りが開催されました。
 イベント参加者に何が用意されていたかですって?ソンクラーン中に私たちが何をするかは知っていますよね。氷水で射程圏内の人を誰でも攻撃するのです、いいですね?はい、でも私たちは祝福と幸運を受けるために、仏様の絵や仏像にも水を注ぎます。これは平和に祝日を祝う方法です。創造的なアートのワークショップもありましたし、タイの4地域のおめでたい食べ物も振る舞われました。川沿いの食べ物市場では、国中の各県で一番の料理が振る舞われました。
 イベントはチェンマイやプーケット、ウドンターニーでも、伝統的なソンクラーンの祝賀とラーンナーの様式の長所を融合させて行われました。
 全体通してこの体験はどうだったか、ですか?本当の平和と幸せの感情に、タイ文化の精神に囲まれ、本物の地域の習慣や伝統に触れ、めいっぱい楽しむことができました。世界に誇るべき美しいタイ文化を広め、伝統的な暮らしを思い出させたイベントは大成功でした。最新のお祭りについて知りたい方は、下のリンクをチェックして、来年のお祭りを楽しみにしていてください。